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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 日本福音ルーテル賀茂川教会  

今週の聖句バックナンバーweekly message

2018年バックナンバー(1)


「あなたはわたしの愛する子」2018.1.14
「贈り物として献げた」2018.1.7
「光の子として」2018.1.1

*2017年10月〜12月の「今週の聖句」はこちらへ。

あなたはわたしの愛する子
 
神ア 伸 牧師 2018.1.14
水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
(マルコによる福音書第1章10−11節)
教会の暦で今日は「主の洗礼日」。主イエスが、ここにいる私どもに先立ち、私どもすべての先頭に立って、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けてくださった。そのことを想い起こす礼拝です。

主イエスの洗礼を通して、福音書記者マルコは、「天が裂けた…!」と伝えます。同じ場面を伝えるマタイやルカは「天が開いた」という(マタイ第3章16、ルカ第3章21)。まさに天が裂けるほどの想い、神から人に対する想いが溢れています。

さらにそこから神の霊が鳩のように、まっすぐ主イエスに向かって降った――。そのとき以来、この地は新しくなりました。神はこの世界を愛し、決して放ったままにはなさらないのだという、みこころが溢れてやまない地となったのです! そして、声が響きました。

わたしは、あなたのことが嬉しい…!(11節/直訳)

この言葉を、自分自身への語りかけとして受けとめ戴いたときに、私は、それこそとても嬉しい思いになりました。
ああ、神さまは喜んでおられるんだ。このわたしのことを…!

私たちが、主イエスに続き、このお方に従って洗礼を受けるとはどういうことか。洗礼を受けると、天から声が聞こえるのです。「あなたのことが嬉しい」と呼びかけてくださる、神の声です。神が定めてくださったあの日、あのときに洗礼を受けたあなたは、その天の声を聴き取ったでしょうか――。聞こえたに違いないと、私は信じます。そして、今はまだ洗礼を受けておられないあなたにも、神はこの声を届けたい。そのために、一人ひとりにふさわしい時と場が、必ず与えられると信じます。

今、恐れている方はいらっしゃるでしょうか。今、疲れて重荷を負っている方はいらっしゃるでしょうか。私は、そのような方々に牧師としてほんとうに無力で、ほとんど何もすることができません。けれども、たったひとつだけできることがある。天から聞こえてくる、この神の声を伝えることです。

あなたは神に愛されている。喜ばれている。神の子として、大切にされている…!

どんなことがあっても、この天からの声が揺らぐことありません。つらいとき、恐れに縛られて自由になれないと苦しむときに、この言葉を想い起こし、この神の愛によって、どうか、今日も立ち続けていただきたい。こころからそう願います。

私どもは神に愛され、喜ばれている、神の子なのです。
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 贈り物として献げた
2018.1.7  神ア 伸 牧師
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
( マタイによる福音書第2章11節 )
星に導かれ、お会いした救い主に自らの宝を〈献げるために来た〉東の国の博士たちの物語。ルーテル教会の暦では、新年最初の主日に読まれるこの物語をもって、クリスマス期間が閉じられます。

一度読んだら忘れることができない、たいへん美しい物語です。いったい、素朴に言ってなぜ私たちはこの博士たちの姿に、魅力を覚えるのでしょう。

かれらが献げ物をしたからだと、私は思います。そして、かれらの献げものを、受けてくださる神が確かに生きておられるということに、慰めを見出しているからだと信じます。この博士たちの献げものは、決して空振りに終わることはない!

これらの献げものは、博士たちの仕事道具でもあっただろうと言われています。今の聖書では「占星術の学者たち」と、訳し変えられたこのひとたちは、星の研究をし、その動きを読みながら、ときに魔術的なことも取り入れ、その星の動きによって運命が定められているということを教えたのです。

そして、その星の動きを丹念に調べていたかれらだからこそ、神に教えて頂くことができました。
我々は星の動きになど左右されてはいない…! そうではなくて、星をつくり、星を、動かしておられる神が生きておられるんだ…!

その大きな喜びに立ったときに、自分たちの持っていたものを見つめながら、"もうこれは要らない"と悟ることができました。

そこで彼らがしたことはまさに、自分自身を神の御手の中に投げ出してしまう、ということであったと思います。自分の人生も、将来も、ある意味では運勢も、全部まるごと神さまの御手の中に置いてしまった!そこに、何にも代えがたい喜びが生まれました。喜びに包まれたまま、この学者たちは、自分たちの国へ帰って行った――。

しかし、来たときと帰るときと、どんなに違って見えたことであろうかと思います。

この世界は、星が支配しているんじゃない。冷たい運命が支配しているのでもない。神の愛が支配している、この世界なんだ! この私も、神のご支配の中に生かされているんだ…! その喜びの中に、今はもう不安ではなく、確かな平安の中にある。

皆さんもまた、自分の家に帰ることが、おできになります。皆さま一人おひとりのうえに、クリスマスの祝福を祈ります。
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  光の子として
 2018.1.1 神ア 伸 牧師
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
(エフェソの信徒への手紙第5章8節)
聖書はあなたに伝えたい。私どもが光そのものであることを。光と「なる」のではない。暗闇を飛ぶ蛍が点滅するように、私どもがこの世界に散らされて行くとき、すでに一人、ひとりが、光の源となってこの世に輝いていることを。

そうです。主なる神は、天地創造のとき、混沌と闇が支配するただ中で、「光あれ」とおっしゃった口を、今もなお閉じてはおられません。私たち一人ひとりに向かって、今、ここで語りかけておられます!
 
光あれ…! あなたは光の子だ。
 
その光が具体的に現れるのは、私どもの言葉であるとこの手紙は語ります(第4章25節、29節、第5章6節、19節)。

私どもは、言葉のもつ怖さをよく知っています。私自身のこととして正直に申しますが、時に、相手に対して思わず滑ってしまう言葉があります。そして言ったそばから、なぜこんなことが心にうかんできて、それを言ってしまったのだろう、どれほど相手を悲しませ、傷つけていることだろう、と悔やんでばかり。ほんとうは、ひとを造りあげ、慰める言葉をこそ語りたいのに――。いったい自分のこころはどれほど疲れ果ててしまっているのだろう、と。

けれど、もしそうであったとしても、その私を自分で諦めたり、見限ったりすることなく歩んでゆきたい。私はそう祈り続けます。

私たちには、ゆるしがあります。眠れぬ夜に、自分や相手の声が、たとえ幾万回自分を責めようとも、キリストはおゆるしくださっているのです。あなたを、愛しておられるのです。

私どもの行く先には、希望があります。私どもが眠れぬ夜に希望を見失おうとも、たとえどれほど私の明日を、行く先を、人間関係のこじれを危ぶもうとも、キリストが私たちに希望を見出されないときはありません。

私たちは、およみがえりの主イエスによって、すでに「光である」のです! それが、私たちのほんとうの姿。もし、私たちがその姿を忘れてしまったとしても、主がお忘れになることは決してありません。

どうか、主イエスが見ていてくださるように、私たちが自分を見ることができますように。主イエスが見ておられるように、私たちが隣り人を見ることができますように。

私を光としてくださった主イエスに応えて、少しずつでもいい。時間がかかってもいい。私たちが、小さな光を、あなたのゆるしを、希望を、愛を、語り運ぶ者として生きることができますように――。

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