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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 日本福音ルーテル賀茂川教会  

聖句断章weekly message  2019年(2)


「主の不思議な御業」2019.10.13
「主にまかせよ」2019.10.6

主の不思議な御業
2019.10.13
 谷川 卓三 牧師
それから、イエスはその人に言われた。『立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。』(ルカによる福音書17:19)
●病気・患いからの癒しは個人の問題であるが、多くの場合、集団意識が個人の問題を吹き飛ばし、救いよりも集団から排除されないほうが優先する。癒しは個人の問題で、自分で考えなければならない。人が自分で考えるようになることは集団にとって危険である。でも、病気の苦しみは人を強いて個人とする。このサマリヤ人は自分で考えたのだ。癒された喜びは感謝をもって報告すべきと感じ、それを実行した。それに対して、同胞ユダヤ人は大勢癒しを受けたが、皆が集まって相談しているうちに、イエスに感謝をささげるのはお上の手前まずいとの結論に達したのか?!。

●大いなる御業に出会った時、神と私の間の問題となる。その時、「神」を恵みの主として受け入れるなら、人は立つ。人が神の前に立つ「信仰」は民族や家柄の優劣上下を問わない。ここは神の創造世界であるから、人は人種、民族、部族集団に属していても、それ以上に神の前の個人である。信仰は集団を超えることで集団の罪性の問題を解決する。罪は神の前に問われる人類の普遍的罪である。それは個人を超えた大掛かりな集団の問題である。その罪性を超えられなければ人は救われない。その力を個々人に与えるのが信仰である。

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 主にまかせよ
2019.10.6
 谷川 卓三 牧師
主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ17:6 )
●「わたしどもの信仰を増してください」。それはあくまでもお願いであり、「いかにしたら信仰が強くなるか」 についての自己省察に向かうヒントを与えて下さい、ではない。信仰は自分で増すことのできるものではない。ただ主なる神に願い、あとはゆだねてまかせるばかりのものである。
●その点では弟子たちの態度はそれなりに信仰を求める態度である。だから、イエスも批判的にではなく打ち解けた答えをなさっている。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」と。信仰のことで思い煩う必要はない、と。信仰は神の事柄である。神には出来ないことはない。出来ないのは自分の信仰が足りないからではないか、どうしたらもっと信仰が強くなるのかと悩む必要はなく、そもそも悩むことは正しい道ではない、と。
●そうではない。ただ神に忠実であることに心を向けなさい。「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」と。主に仕える忠実、真心から主に従うのが信仰の道である。しかし、それは自分で忠実であることを努力することではない。それは「自己義認」の道であり、信仰の道ではない。主人がいて、僕がいる。僕だけの世界ではない。主人の導き(言葉)に従うのである。これが信仰の道であり、救いの道は信仰の道によってのみ約束されている。

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