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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 日本福音ルーテル賀茂川教会  

礼拝説教


2021.7.5「神の愛の言葉に生かされる」ヨハネ6:1-15
2021.7.18「未来を切り開く力」マルコ6:30-44
2021.7.11「真の主権者イエス」マルコ6:14-29
2021.7.4「神の御名があがめられますように」マルコ6:1-13

「神の愛の言葉に生かされる 」ヨハネ6:1-15
2021.7.25
 大宮 陸孝 牧師
そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」を言った。イエスは、人々が来て、「自分を王にするために連れて行こうとしているのを知って、ひとりでまた山に退かれた。(ヨハネによる福音書6章14−15節)
 本日から8月22日まで、福音書の日課はヨハネ福音書6章を学んで行きます。本日は6章1節から15節までが日課となっています。1節から順次見て参りましょう。

 まず1節から4節です。「その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」と記されています。ここに今日の、五千人の供食の出来事の、状況の設定が記されています。舞台はガリラヤ湖、これをヨハネ福音書はティベリア湖と呼んでいます。ヘロデ・アンティパスが領主として治めていた時を表したかったのだと推測されます。これは大変重要なことで、歴史的な事実を核にして、これから述べることは決して架空のことを言っているのではなく、歴史的事実なのだと言いたいわけです。

 主イエスが行った奇跡を見て大勢の群衆が後を追った、と本日の日課の冒頭に書かれています。5章のところに戻って見てみますとベトサダの池のところで38年もの間病んでいる人がいて、主イエスがそれを直した記録が記され、その後に主イエスの長い講話が5章全体にわたってなされています。6章もそれと同じ構文になっています。そして9章でも同じ描写が出てきます。先ず一つの出来事が描かれます。それに続いて、その後に長い長い講話という形で、その出来事を通して、その出来事の延長線上に神様が私たち人間を救うことが事実としてこれから起こることが語られていくという展開になっているのです。そして状況設定の最後の4節のところに「ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた」と記されています。主イエスによる五千人の供食の奇跡は過越祭との関連で取り上げられているのです。これは、この五千人の供食の奇跡を、「主イエスはどういう方か」ということとの関係で展開しますよ、という予告をしているのです。つまり22節以下の講話部分の伏線となっているということです。

 そして5節以下の五千人の供食の奇跡の出来事が始まります。5節6節には「イエスは目を上げ、大勢の群衆がご自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである」と書かれています。これは福音書の奇跡の出来事に共通して出てくる表現で、主イエスの予知能力について告げているところなのです。イエスという人は、何でもご存じの方ですよ。そういう奇跡を行う人なのですよ、という、奇跡を行う人の、主イエスの、普通の人と異なる面の強調が、奇跡物語の伝承ではこういう形でなされているのですが、ヨハネではイエスが普通の人と異なるということを伝えようとしているのではないのです。その認識の範囲に留まっていないのです。そのことをこの後申し上げます。

 7節8節を読みますと「フィリポは、『めいめいが少しずつ食べるためには、200デナリオン分のパンでは足りないでしょう』と答えた」と記されています。ここは共感福音書マタイ、マルコ、ルカでは「200デナリオン分ぐらい購入しなければ足りません」と弟子たちが言っている記録があります。ヨハネはそれに対して「200デナリオン分、食料を買い集めても全く足りません。みんなが満腹するようにはなりません」といっているのです。ヨハネがこの五千人の供食の奇跡物語を自分の福音書中に採り上げた理由が他の福音書とは違っているということなのです。

 フィリポが「全く足りない」と強調していることは、歴史的な背景を想起させようとしているということです。一つのことを旧約聖書から引用いたします。イスラエルの民が神に導かれて奴隷の地エジプトを脱出し約束の地カナンを目指して歩んだ、40年の荒野の旅で、人々は、はじめは解放の喜びに溢れて出発しましたが、長い砂漠の旅の連続で、やがて携えてきた食料も尽きてきました。人々は疲れ、不安になり、次第に不満を募らせました。「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹一杯食べられたのに。あなたたち(モーセとアロン)は我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている」(出エジプト16:3)とつぶやきました。神はこの民の苦しみをご覧になり、次の朝人々がテントの外に出て見ると「荒野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように」降っていました。(同16:14)これはシナイ半島に生えているタマリスクの木に、えんじ虫という小さなカイガラムシのようなものが群がり、樹液を吸ってそれを体液と混ぜて排出すると、白いうろこ状のものになる。それがマナと呼ばれるものではないかと言われています。イスラエルの民が砂漠で飢えたとき、そこにあるこのようなわずかなものをも食料として、ようやく生き延びたのです。イスラエル民族の奴隷的な状態から、民族国家として独立自立するための戦いの一人間(民族・国家)の内面の歴史でもあると理解することができます。

 その後も食べ物の戦いは続きます。民数記11章には、民とモーセの間だけではなく、モーセと神との間でもモーセの葛藤のやりとりが描かれます。19節に神の重要な言葉が記されています。「あなたたちがそれ(肉)を食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日ではない。一ヶ月に及び、ついにはあなたたちの鼻から出るようになり、吐き気を催すほどになる。あなたたちはあなたたちのうちにいます主を拒み、主の面前で、どうして我々はエジプトを出て来てしまったのか、と泣き言を言ったからだ」と記されています。だからいやと言うほど食べさせるぞというのです。モーセはその神の言葉に対して21節でこう言います。「私の率いる民は男だけで六十万人います。それなのに、あなたは、『肉を彼らに与え、一ヶ月間食べさせよう』と言われます」そんなことができるかとモーセは神に反論するわけです。22節ではモーセは「しかし、彼らのために羊や牛の群れを屠れば、足りるのでしょうか。海の魚を全部集めれば、足りるのでしょうか」と記されています。六十万もの脱出した民、それも男だけでとなっていますから全員で百万を超える数になるでしょう。そんなことは神様でも不可能ではないでしょうかと言うのです。

 その先はどうなったかと言いますと、31節に「さて、主のもとから風が出て、海の方からウズラを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。うずらは、宿営の周囲、縦横それぞれ一日の道のりの範囲にわたって、地上二アンマほどの高さ(およそ九十センチ)に積もった」と記されます。途方もない量のウズラの死骸が積もったということです。物語は続きます。32節「民は出て行って、終日終夜(明けても暮れても)そして翌日も、ウズラを集め、少ない者でも十ホメルは集めた」(十ホメルは2300リットル)1.8リットル牛乳パックおよそ1300本です。六十万の人が一人当たりでそれだけ集めたのです。問題はその先です。33節に「肉がまだ歯の間にあって、噛みきれないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた」としるされています。その肉は腐敗していたということでしょう。疫病が発生したのです。34節を読みますと「そのためその場所は、貪欲の墓と呼ばれている」と記されています。これが民数記11章が伝える内容です。私たち現代人にとってもこの民数記の記事は大変象徴的な出来事なのではないでしょうか。他にもこれと共通した旧約聖書の預言者が行った食べ物に関する奇跡が列王記4章にも、預言者エリシャの物語として描かれています。

 本日のヨハネ福音書の日課に戻ります。このヨハネ福音書6章の奇跡の行為者であるイエスを描写する伝承は、旧約聖書中のこのような優れた預言者の系譜の流れに立つ、預言者の一人として、イエスが期待されていることを示しているのです。イエスの時代のユダヤ教、そしてユダヤ人社会を背景にした人々は、すべてこうした旧約聖書の故事をよく知っておりました。そして、イエスに対して非常に好意的な人でも、主イエスは旧約聖書の預言者の系譜の流れに立つ、優れた預言者の一人であるとの期待を抱いていたのです。その系譜に立つ人物として主イエスは尊敬され、また期待されていたということです。

 12節13節「人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、『少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい』と言われた」という記事も、「集めると、人々が5つの大麦のパンを食べて、なお残ったパンの屑で、12の籠がいっぱいになった」と述べられています。これらは旧約聖書と平行している記事で、奇跡が行われたことが事実である事を確認する一つの描写の仕方です。モーセを通して行った出エジプトの出来事の、そのときの民の不平と要望、欲求やそれに対する神の答えなどが、本日の五千人の供食の出来事の背景になっているのです。

 そして、ここでもまた五千人の群衆は、自分の欲求や願望や期待に応える神を求めていることがはっきりしているのです。神はそのような人間の欲望に対して、旧約聖書においては怒る神として描かれているのです。それですから食べたものが鼻から出るほど、あるいは吐き気を催すほど与えられ、人々が今度はほしいほしいと求めたもので苦しみ、それが疫病を引き起こすのです。神の怒りが、そのように彼らに及んだと述べられているのです。

 それに対して主イエスはどうだったのか、身も蓋もないほどの怒りを顕わにしたのか。これが旧約聖書と新約聖書を通して、私たちが「神の救いの歴史」を見るときの重要な見方です。主イエスはそういう仕方ではなさらなかったのです。神は、正義ゆえに怒る神ではありますけれども、同時に徹底して『私たち人間が自ら自発的に理解できるまで、私たちが自ら、この方こそ神である、神の子であると認識するまで』忍耐に忍耐されて、私たちにご自身の人格を通して神様の本質を示してくださるのです。その極みが「死に至るまで、しかも十字架上の死に至るまで、神は徹底して人を愛された」ことなのです。

 14節に「そこで人々はイエスのなさったしるしを見て、『まさにこの人こそ、世に来られる預言者である』と言った」と記されています。つまり民衆はイエスを旧約聖書のモーセやエリシャのような預言者と見なしたということなのです。旧約のイスラエルの歴史の流れの中では、モーセのような指導者・預言者・王という信仰が、当然のようになされてきました。ですから最高の名誉は、このイエスがモーセのような預言者・王であると、ユダヤ教からキリスト教に改宗した人たちもはじめはそう思っていましたし、最高の称号を与えたと思っていたということです。

 それに対して、ヨハネ福音書記者やパウロもそうですし、初代教会の多くの人たちが「そうではない」と気付いていったということなのです。初期キリスト教会の歴史を担った人たちは、「モーセのような預言者・王」ではない主イエスを見いだしていったのです。そのことに気づいたのです。

 本日の日課の最後の15節に「イエスは人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、一人でまた山に退かれた」と記されています。かつてモーセの指導によってエジプトを脱出し民族国家の独立とイスラエル宗教の確立を成し遂げたように人々はイエスを、モーセのような役割を果たす存在と理解し、モーセのような役割を遂行することを、イエスに期待したのです。イエスはその民衆の要求を退けたと、ここで告げているのです。

 人々のこの類いの要求、願望を受け入れれば簡単に伝道できるのです。容易に人々に教えを説くことができるのです。日本の新興宗教に限らずほとんどの宗教が現世御利益を語り、盛んになるのもこの理由です。そうようにするならばイエスは十字架に掛からなくとも済んだのです。しかし、イエスはその道を選びませんでした。その理由はイエスの時代から1300年前の出エジプトの出来事を人類の歴史上で何度でも繰り返すことになることをイエスは見通しておられたからです。

 ヨハネ福音書がイエスはどのような意味で救い主なのかを述べているのが次週の日課に取り上げる22節以下、主イエスの長い講話の形で展開されて行きます。

お祈りします。

恵み深い神様。あなたが旧約の昔からずっと約束してくださいました、あなたの満ちあふれる恵みによって私たち失われた罪人を神のものとしてくださり、魂の底から満足させ、慰めてくださいます日が今日この日主イエス・キリストにおいて地上に現実のものとなっております。私たちはそのことを御言葉によって知らされ心から感謝いたします。私たちが本当に満ち溢れる恵みの中で生かされておりますことを深く味わい、感謝をして歩むことができますように、私たちの信仰を導いてください。

キリスト・イエスの御名を通してお祈り致します。    アーメン

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「未来を切り開く力」 マルコ6:30-44
2021.7.18
 大宮 陸孝 牧師
イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満足した。(マルコによる福音書6章41-42節)
 宣教に派遣された弟子たちはカファルナウムにもどり、主イエスのもとに集まって参りました。主は期間を定めておられ、その日が来て、弟子たちは一どきにもどってきたと読み取れます。派遣された者は必ず戻って来て、報告しなければなりません。このつとめを任命された方がおられるからです。

 私たちの場合もそうなのです。週の初めの日に、御言葉を受けて、これをもって世に出て行きます。私たちは出て行った切りでは無いのです。次の日曜日には戻って来て、その一週間の報告を主になされなければならないのです。主のもとに立ち戻る時間を惜しんでこの世のつとめを重んじなければならない、というのは、これがまさに的はずれの始まりなのです。使徒と言う言葉がマルコではここで初めて出て来ます。これまでは「十二人」とか「弟子」と呼ばれていました。そして35節ではまたもと通り「弟子」になります。つまり彼らは使徒として公的なつとめに派遣され、帰ってきて、その任を解かれ、また弟子にもどったと言う経緯がここに表現されているのです。

 その使徒としてのつとめは、教えることと、することとからなっていました。使徒言行録の最初に、「イエスが行い、また教え始めてから・・・」と書いてあります。使徒たちの務めは、第一に、教えることでありました。しかしそれだけではありません。かれらには行うべきわざがありました。そのわざとは、日常の生活をどのように営むかというようなことではありません、使徒としてのなすべきわざのことです。すでに7節の命令にもあり、13節にもありましたように、病気をいやし、悪霊を追放するわざがそれであります。そしてそのようなわざは人々を信じるに至らせるためのものではなく、~の国がすでに来て、~の愛の支配に逆らう汚れた霊の支配は、一切後を絶たなければならないことを示そうとしたものであります。もう一度申し上げます。使徒としての行いとは、教えと生活とが一致しなければならないと言おうとしたものではありません。使徒に負わせられた務めは単なる良い行いではなく、~の国をこの世にもたらすもっと本質的な終末的な行いのことなのです。それは私たちにおいても同じなのです。私たちが主の前に立ち帰って報告しなければならないのは、単なる善意の行いではなく、~の国が近づいたこと、悔い改めて福音を信じること、~の御言葉にこそ服従しなければならないことを人々に伝えて、人々がそれを受け入れたかどうかということであります。先週にも話しましたように、信じるというのは、私たちを生かす~の恵みの言葉に信頼して人生を歩むという新しく信仰の道を歩む行為のことであります。ここに人々を導くということなのです。

 この時、弟子たちは非常な元気と非常な喜びをもって、思いにまさる成果をあげたことを報告したとルカ福音書10章には書かれています。今般の伝道は成功しました。国は震え動き、当時の支配者ヘロデも激しく動揺したとあります。そういう時でありましたので、弟子たちは疲れも覚えず、むしろ得意になって、まだまだ働けますと言うような調子で報告したのではなかったでしょうか。そのとき、イエスはあなた方は休めと言われます。休むことの必要を主イエスは見抜いておられました。働きに自己満足がともない、自己満足は働きに拍車をかけ、自覚のないうちに内側の霊性の貧困が募って、気付いたときには破綻をしてしまっている、というようなことが起こるのです。私たちは失意のときや不安の時には、よく祈ったりするものですが、得意のときには退きも祈りもしません。主はいつも小まめに時間をつくっては淋しい所に出て行かれ、そこで祈ったことを福音書は報告しています。これは主の強い命令であります。権威のもとに彼らを服させ、退き、瞑想し、祈ることを命じておられるのです。

 出入りする人が多くて、食事をする暇も無かったことは、さきに3章20節にも書かれている通りです。そして弟子派遣の結果、この忙しさは倍加されたものと思われます。主イエスは弟子たちを淋しい所に連れ出されます。前進するときだけではなく、退き祈るときにも、常にイエスが先頭に立ちたまいました。この時の行き先はカファルナウムの東北、ガリラヤ湖の西北岸で、1章35節にあったのもこれと同じ場所ではないかと考えられます。ということは、イエスはカファルナウムの地で活動なさる際に、この場所を祈りの本拠地とされていたと言えるのではないでしょうか。私たちの人生にも、その不動の中心となるべき、祈りの場が必要であることを主イエスは教えようとされているのです。

 ところがその静かな祈りの場、主イエスの魂の養いの場、従って弟子たちの宣教の活動のための密かな魂の拠点が、あらわな活動の意味においても中心の場になる時がやって参ります。この主イエスと弟子たちだけの、態勢立て直しの場であった寂しい地で、群れ集う人々にパンを裂いて与えられるというガリラヤ伝道のクライマックスの出来事が起こるのです。主イエスと弟子たちにはもう会堂を用いて宣教することも許されなくなってきていて、荒野においてしか集会を開けなくなってきていたと思われます。8章にもう一度荒野の場面が出て来ます。主の宣教の舞台が荒野に移ることになったということです。

 33節は生き生きした描写です。群衆はすでに主の行きつけておられる靜かな場所を知っていたようです。そこに、先に駆けつけて待っておりました。このため、主イエスとその弟子たちは、静寂な場所で休息の時間を過ごそうとする計画を放棄します。主イエスは、慕い寄る人々を振り離すことはなさいませんでした。ひとまずこの群衆を受け入れてから帰らせ、その後で山へ退いて祈られます。

 群衆は飼うもののない羊のようでありました。彼らには、自ら羊飼いをもって任じる指導者たちがいました。しかしその指導者は羊を養うことができませんでした。ユダヤ教の教師たちが数多くいるにもかかわらず、民衆は霊的に飢えておりました。バプテスマのヨハネが自覚を促し、人々の霊的貧困の実状を明らかにしましたが、ヨハネの死のあと、残ったのは底知れぬ虚無感と罪の意識だけでありました。そこへ主イエスと弟子たちによる宣教がなされたのです。彼らは切ない思いで主イエスを追ってきました。それでもなお、彼らはさまよう羊の群れでしかありません。主イエスは彼らを見、深く憐れみたまいました。人々は主イエスに何を求めてよいのかもわかりません。ヨハネ福音書6章を読みますとこのときの彼らがいかに無理解であったかが余す所なく描かれております。ヨハネ6章については7月25日から、つまり来週から8月22日まで連続五回に分けての日課となっています。

 主イエスはそのような彼らを冷ややかに突き放しはしませんでした。主は彼らにいろいろと教えられます。いろいろと、というのは、多くのことを?んで含めるように、熱心に、という意味です。主イエスはこのような心を込めた対話の中で、悲惨な人々と出会われておられるのです。そしてそれに続いて彼らのためにパンを裂いてお与えになります。今日も、主イエスは飼うもののない羊のような私たちに御言葉を語る主、パンを裂く主として近づいて来られるのです。

 ここで起こっていることは避難生活をしている人々への緊急支援という事ではありません。これは救い主の食事を意味します。~の国の宴会が荒野で始まったのです。大群衆は十二の組々に分けられます。そして、各組に一名ずつ弟子たちが配置されました。これはモーセが荒野で、~の栄光のもとにイスラエルの十二部族を編成した時のことを再現したものと言われております。救い主イエスはここに、新しいイスラエルの十二部族を編成し、教会形成の基本的な形とされたのです。救い主イエスの到来によってここに~の国が現出したという初代教会の信仰告白を読み取らなければならないのです。ヨハネ福音書によりますと、この奇跡に触れた人々は、イエスを王にしようとしたということです。群衆は非常に歪んだイエス理解をしていたことは確かであります。しかし、それでも、彼らはこの奇跡を決定的なものとして受け取ったのです。

 こんにち、わたしたちは、聖餐式において、キリストの御名によってパンが裂かれるとき、それが「主の十字架の死を示す」ものであると教えられています。しかし、ここではまだ主の十字架の死という一点は打ち出されてはいませんし、一般的な贖罪の意味も明らかとなっておりません。それらの大切な点はまだ隠されたままなのです。しかし、とにかく、そこに~の国の食事がありました。その中に、主の十字架の死も、主の復活も、主の再臨も踏まえ、それら一切を含み持った終末の食事が目指され、先取りされたものであると見るべきでしょう。

 そのような意味での食事に際して、人々は満腹しました。主イエスと出会った人は飢えた、あるいは物足りぬ思いのままで帰ることはありません。「富める者を飢えたままで帰らせられる」とは、マリヤの歌った讃歌ですが、富める者が富を満喫しそこで自己満足している限り、霊的な充足はありません。しかし、へりくだって主に近づくものは、実際に満たされるのです。礼拝の度ごとに私たちが味わうのは~の言葉に満たされる荘厳な満腹感なのです。最後に、主は残りのものをお集めになります。物を粗末に扱わない主がいます。物を粗末にしない主は、まして、もっと大切な人の魂を粗末になさいません。物質的な恵みを大切にすることを学んだ私たちは、まして、霊的な恵みをいささかも無駄に扱わないよう戒められているのです。本日私たちが聞き、受け止めた~の言葉は、食べきれなかったからと言って生ゴミのように処理してしまうということはしてはならないのです。

 このできごとの全体を通して、群衆に目を留める主イエスの姿が、ここでグローズアップされています。34節イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。すべてはこの主イエスの眼差しから始まっていたのです。主イエスの憐れみが群衆を包み、「飼い主がいない羊のような」群衆に心の底から連帯し、わずかな食料であろうとも、それを祝福し、弟子たちの分配の奉仕を通して、それを配るときには、祝福が具体的に一人ひとりの人のもとに届けられるだけでなく、その祝福は満ち溢れるほどに一人ひとりの人を包み込みます。ここでの奇跡(しるし)の意味とは、イエスの眼差しがこの群衆を包み込んでいたという事実を顕したことだったのだと思います。

 ~の御言葉によって(教えによって)「主は私の牧者であって、わたしには乏しいことがない」という確信が無数の人と共に共有されたそのような事実を顕そうとしたものです。「人里離れた場所」とは、もともと「荒涼とした場所」という意味であります。そんな場所であっても、イエスのあの眼差しに包まれた人々は、空腹を満たされ、魂の虚しさも満たされることになった。それはやはり奇跡と呼ぶべきものであったということです。

お祈りいたします。
恵み深い神さま。私たちが、飼い主のいない羊のような、各自それぞれに孤立して生きる生活ではなくて、主を羊飼いとして慕い、主のもとに集まり、主によって養われ導かれながら歩む、主イエス・キリストに忠実に従って行く群れとなっていくことができますように、私たちを導いてください。
キリスト・イエスの御名を通して祈ります。    アーメン


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「真の主権者イエス」 マルコ6:14-29
2021.7.11
 大宮 陸孝 牧師
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから奇跡をおこなう力が彼に働いている。」そのほかにも、「彼はエリヤだ」と言う人もいれば、「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。(マルコによる福音書6章14-15節)
 本日の福音書の日課の最初の6章14節から16節のところでは、イエスとは誰かというテーマが再度取り上げられて、そして、ヨハネの死を報じる17節〜29節へと展開してゆきます。マルコ福音書はすでに1章14節で「ヨハネが捉えられた後」という言葉から主イエスの公生涯を語り始めていまして、そこですでにヨハネの死を暗示しておりました。そして本日の日課の箇所でも、ヨハネの死はかなり以前の出来事とされていまして、主イエスについて「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」という考えがあったと語られ、それをきっかけにして、過去を振り返る形で、ヨハネがどのように死を迎えたかが述べられています。マルコ福音書はなぜ、この箇所でヨハネの死についての伝承を取り上げることにしたのか。またなぜ、ヨハネの死の出来事を、ここでこのように詳しく書きとどめたのでしょうか。

 前後の脈絡を確かめますと、この箇所の直前には主イエスが十二人を派遣したことが語られ(1節〜13節)、直後には十二人の使徒たちが主イエスのもとに帰ってきたことが語られています(30節)。つまり、十二人の派遣の記事に挟まれていることになります。十二人は主イエスに遣わされて、宣教し、悪霊を追い出し、病人を癒しました。主イエスの権能によって、主イエスがなさってきたのと同じ業を行った。主イエスの活動が盛んになり、また広がって、使徒たちの手を借りるほどになっている様子をここに見て取ることができます。それに伴って「イエスの名が知れ渡り」(14節)、大勢の群衆がそばに集まって来るようになった。すると、「この方はいったい何者だろう」という問いが切実なものになってきます。

 この6章で語る十二人の派遣とそれに続く五千人の給食の記事は、この時主イエスの活動が最も盛んであった事を示しています。そこでこのような力を働かせているイエスとは何者かこの問いに対してマルコは不思議にも、洗礼者ヨハネの死の様をもって答えとしたということなのです。

 さて、「イエスとは何者か」という問いに対して、人々は「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから、奇跡を行う力が彼に働いている」(14節)と言っていました。この考えによれば、主イエスは洗礼者ヨハネその人、あるいは「ヨハネの後継者」であり、主イエスに働いている力は、ヨハネの力であるということになります。その場合に、最も重要な人物はヨハネの方であり、主イエスは二番目の位置を占めるに過ぎないことになります。これは、主イエスの時代にも、その後の初代教会の時代にもありました一つの有力な考え方でありました。

 マルコはここで、このような人々の考え方を逆転させます。人々は、ヨハネを中心として、ヨハネから主イエスを理解しようとしていました。しかし、そうではなく、主イエスを中心として、主イエスから出発して初めて、ヨハネを正しく理解することができること、つまりヨハネは主イエスの先駆者なのだと言おうとしているのです。それがここでのマルコの答えです。

 「イエスとは何者か」という問いに対して、マルコはヨハネの姿をもって答えとします。ヨハネの姿に主イエスのお姿が前もって表されている。つまり、ヨハネの生涯は、ヨハネ自身だけで完結し、意味を持っているのではなく、主イエスを指し示す先駆者としてとらえた時に、初めて意味を持つのだということになります。

 ヨハネの死は、それだけを見れば、何の意味もない非業の死でありました。律法を犯した者が、それを指摘した正しい人を逆恨みし、ついには殺害してしまった。ヨハネが行ったヘロデに対する諌言(かんげん)も、その死も、何ら事態を変えることがない無駄な行為、無益な死であったように見えます。しかしヨハネの死は、主イエスの死の予表と捉える時には、重要な意味を持つことになるのです。洗礼者ヨハネが主イエスの先駆者であるのは、荒れ野での説教によって主イエスの到来の準備をしたからだけではなく、その死において主イエスの死を予表したからなのです。

 ヨハネの死を主イエスのお姿を先取りしている「先駆者」と捉えると、この箇所に、主イエスのお姿を思い出させる様々な点を見いだすことができます。つまり、ここではヘロデの背後で力を持つへロディアが、恨みからヨハネを殺そうとするが(19節)、主イエスもこの世の権力者である祭司長たちによって、ねたみのために引き渡される(15:10)。ヘロデは人をやってヨハネを捉えさせ、牢につないだが(17節)、祭司長たちも群衆を遣わして主イエスを捉えさせ(14:43〜46)、縛った(15:1)ヨハネの弟子たちが遺体を引き取って墓に治めたように(29節)、アリマタヤのヨセフは主イエスの遺体を引き取って墓に納めることになります(15:42〜46)。このように主イエスの苦難と死を先取りして歩んだヨハネがすでに「死者の中から生き返ったのだ」と言われていたことは、ヨハネが指さしている主イエスがやがて本当に死者の中から復活して、墓から出てこられることを暗示していたのだと見ることができます。

 一人の人間が預言者として立てられ、神の言葉を託され、神の言葉そのものであられるお方を指さしながら生き通した。預言者の生に徹した時に、その無益と思える死さえも、預言の性格を帯びるものとされた。ヨハネの無力さは、神の言葉の力を証しする者とされたのです。

 さて、「イエスは何者か」という問いに対して、ここでヘロデのことにも触れておかなければなりません。ヘロデは「王」になりたいと望んでいましたが、父ヘロデ大王が死んだ後、16歳でガリラヤとペレアの領主となります。ルカ福音書では主イエスの公生涯を語り始めるにあたって、この世の支配者たちの名前を列挙していますが、その中に「ガリラヤの領主」としてヘロデの名前も挙げています(ルカ3:1)ヘロデが洗礼者ヨハネを捉え、主イエスにも関心を持っていたのは、自分の支配を脅かしかねない不穏な動きに注意を払い、必要とあれば、反乱の芽を摘み取ってしまおうと思ってのことだったのではないかと思われます。自分の支配を確固たるものにしたい、できることならば自分の領土を増やし、権力を強大なものにしたいとの野心を抱いておりました。

 ヘロデは「王」になりたいと望んでいましたが、父とは違って決して王ではなく、王よりも低い地位である「領主」に過ぎませんでした。それにもかかわらず、この箇所でマルコがヘロデを「王」と呼んでいるのは、歴史的に不正確な記述をしているのではなく、意図的であるように思われます。と言いますのは、22節後半から、呼び方が「ヘロデ」から「王」にくっきりと切り替わっているからです。

 呼び名が「王」に切り替わって以降、ヘロデは王として振る舞おうとしています。まるで限りない権力があるかのように、「欲しいものがあれば何でも言いなさい」と言います(22節)。ヘロデはローマから統治を許されているだけで、領土の分割をする権利などないのに、「おまえが願うなら、この国の半分やろう」と誓って見せます(23節)。へロディアが「洗礼者ヨハネの首を」と願うと、自分ではそれを望んでいないのにもかかわらず、「王」として客の前で誓ったことを引っ込めることができず、願いを認めてしまいます(26節)

 マルコが「王」と呼ぶ人物は、王者らしく振る舞おうとするのですが、かえって、ただ王を演じているに過ぎないことを暴露してしまっています。絶大な権力を誇る王であるようなことを言いながら、自分が正しいと思うことを貫くこともできずに、へロディアの言いなりになってしまっている。まさにその場面でヘロデを「王」と呼んでいるのは、マルコの痛烈な皮肉であると見ることができます。

 ヘロデはヨハネを牢につないでいましたけれども、ヨハネの教えには喜んで耳を傾けていました(20節)。「わたしが首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ」(16節)と言う発言からも、ヨハネを殺害したことを悔やんでいるヘロデの良心の声を聞き取ることができます。ヘロデは、「正しい聖なる人」が語る言葉を聞こうとする心を持っていました。もしヘロデが領主ではなく、民衆の一人であったなら、彼は荒れ野に出かけていってヨハネの説教を聞き、罪を告白して洗礼を受けていたかもしれません。しかし、「王」を演じようとする時、ヘロデは神の言葉を聞く機会を自分で潰してしまっていたのです。

 ヘロデは後に、ローマ皇帝のもとに出向いて「王」となることを願い、逆に謀反のかどで訴えられ、領土を取り上げられて追放され、流刑先で死ぬことになります。処刑されたとも伝えられております。王になろうとすることは、ヘロデにおいては文字通り滅びの道であった。牢にいる洗礼者ヨハネを尋ねていた時、ヘロデは王になろうとする道を歩むか、神の言葉を聞き、神の言葉の前に膝をかがめて、神の僕となる道を歩むか、二つの道の岐路に立っていたのです。誕生日の祝いの席で王を演じた時、ヘロデは神の言葉から耳をふさぎ、王になろうとする道を選び取ってしまっていたのでした。自分の欲望を限りなく追求する現代の私たち、王を演じずには居られないヘロデの姿は、また私たちの姿なのではないか。民主主義といい、誰でもが王であり得る私たちの世界は、神の言葉が聞き取りにくい世界であるのかもしれません。

 私たちは充分に王であり得る。しかし王であろうとする道を捨てて、自分以外の者を、愛を持って私たちを生かそうと私たちのもとに来てくださった真の命の主権者、イエスをこそ、私の主とし、神の言葉を神の言葉として聞く道を選び取って行きたいと思います。

 このことについては再来週25日(日)の日課ヨハネ福音書6章1節〜15節のところで更に詳しく取り上げたいと思います。

お祈りいたします。
主なる神さま。自分を主としようとする私たち一人一人の中に、恵みと真実のあなたの言葉が響き続けています。あなたの真実の生ける言葉に導かれ、力を与えられて信仰の歩みを歩んで行くことができますように、あなたを主として従っていく者とならせてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。    アーメン


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「神の御名があがめられますように」 マルコ6:1-13
2021.7.4
 大宮 陸孝 牧師
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。そして、十二人を呼び寄せ。二人ずつ組にして遣わすことにされた。(マルコによる福音書6章6-7節)
 御自分がお育ちになられた故郷ナザレでは福音が受け入れられなかった。また、ほぼ時を同じくして、町々村々の会堂を用いる伝道は人々にはばまれたとあります。それは、主イエスがこれから始めようとなさる神の国運動は、今までの血縁の家族とか地縁共同体とは全く異質なものであることを意味していました。ですから「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉で始められるのです。まず自分中心の生き方から神の御旨を求めていく生き方へと方向を変えなさいと。

 ですからその一方で時が熟して、十二弟子を全国に派遣する時が来たとの展開に発展して行くのです。この弟子たちは、3章14節にありますように、宣教につかわされるために召し出されましたが、主は弟子たちをすぐに派遣することはなさいませんでした。教育が先ず必要です。しかし、その教育はゆっくり時間をかけたものではありません。主はその宣教活動の早い時期に弟子たちの教育に一段落を付けて彼らを派遣しました。

 主イエスの教えを信奉する人が少しずつ増えて来ていました。そのような増加をもっとはかどらせるために、主イエスは 伝道の手を広げられたのでしょうか。そうではありません。主はここで一挙に決着を付けようとしておられるのです。福音を信じるかどうかの決断が、局地的になされるのではなく、全国になされる必要があったのです。刈り入れの多からんことを祈れとさとされた主は、今や全国に、弟子たちを派遣されます。

 この時の弟子派遣もまた教育の一環であったと見ることもできます。主は言うなればこの実習によって、弟子たちが後になってもっとよく伝道するようになることをもくろんでおられたのではないかとも推測できます。けれども、この派遣においてより重要なことは、明日のことではなく、今日の今のことであります。時はすでに満ちているのです。自分を中心に据えて生きている私たち人間の世界に、方向転換して神を中心にするよう悔い改めの要求を今日、全国にわたってなされなければならないのです。

 これまで、主は、ひとりひとりと人格的な出会いをされたこと、ひとりの魂の中で新しい人間の誕生が徐々に行われていくこと、一人の真剣に信じる心からもうひとつの心へと福音の証しがもたらされることが示されてきました。それは事実なのですけれども、ここにはもう一面、見過ごしてはならないことが提示されているように思います。それは、福音の宣教が全国的な規模で行われるということです。福音が少数者に誠実に信奉され、世間は何の影響も受けない、というのではなく、福音の宣教によって社会が揺れ動くということです。

 この時の十二弟子の派遣は初代の教会の伝道の仕方と関係している、と指摘する人がありますが、初代の教会だけではなく、現代の教会とも深く関わっていることを見て行かなければならないと思います。主は先ず十二人の弟子たちを呼び寄せられました。これは3:13にもあったことばですが、「召し出す」こと、召命を指しています。派遣される者はまず召命を受けたものなのです。私たちは主に召されて主の身元に行き、主に遣わされて使命の場へと出て行く者であります。召集と派遣は教会の呼吸のようなものです。それが起こらなくなったときは、教会が死んだときであります。主のもとに帰ることを忘れたキリスト者は放蕩息子であり、迷える子羊であります。外に向かってどんなに活発に動いても、それは単なる人間的な事業に過ぎません。主は「わたしが遣わさないのに預言者たちは走る。私は彼らに語っていないのに、彼らは預言する」(エレミヤ書23:21)と言われます。しかし他方、主が自分に与えておられる使命を自覚しないキリスト者は、惰眠をむさぼる者、神の恵みを私物化する者であります。生ける主に出会いその恵みを知った者は、言葉と行為を通してこれを証しすることが命じられています。「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい」(Uテモテ4:2)という弟子の勧めを心に受けとめなければなりません。

 さてそれで、この弟子たちの巡回伝道の規範となった主イエスの教えでは、先ず彼らの旅が二人一組でなされたことが注目されます。(7節)これは元々ユダヤ人の習慣で(ルカ7:18、ヨハネ1:37)、初代教会でもその習慣が取り入れられたものと思われます。使徒パウロもはじめはバルナバと、後にはシラスと二人で伝道の旅をしました。(使徒言行録13:2、15:40)。治安状態の良くなかった古代では、一人旅は危険で、同行者を必要としたということかもしれません。

 「一人よりも二人が良い。……倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸である」(コヘレト4:9〜10)という知恵に基づくことはすぐに想像できます。

 しかし、それよりも重要なことは、宣教の働きが個人としての働きではなく、共同の働きとして実施されていることです。もちろん神の御意志は、しばしばただ一人の人間の言葉と行動を通して現されて来ました。預言者たちの多くは、孤独な『荒れ野で叫ぶ声』でありました。主イエス御自身も孤独のうちに十字架上で息を引き取られました。ルターは宗教改革の初めのころを思い起こして、「あの時はわたしだけが教会であった」と述懐しています。しかし、そこで語られ行われたことは、決して私事ではありませんでした。預言者は「諸国民の預言者」(エレミヤ1:5)であり、「天よ聞け、地よ耳を傾けよ」(イザヤ1:2)と全世界に向かって呼びかけました。キリスト者は「ほかのだれによっても、救いは得られません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使徒4:12)と信じています。そうだとすると、この万人に対する真理と救いが、私物化されたり矮小化されたりして伝えられることがないように、私たちの宣教の内容が常に私たちの相互の間で批判検討され、共同の福音として宣べ伝えられなければならないのです。私たちが聖書に基づいて宣教するのは、主イエスの死と復活の直接の証人である使徒たちと共に宣教することであり、使徒と二人一組になって宣教することであります。宣教は使徒的な公同の教会の業であって、個人の独白であってはならないのです。

 そして第二には、伝道者たちは無一物で伝道するように命じられています(6:8〜9)。「袋」と訳された言葉は、物をしまっておく袋ではなく、宗教家が人々から施しを受ける時に使うもので、日本流に言えば、托鉢に用いる「鉢の子」です。その袋を持つなというのですから、無所有で生きることが徹底した形で命じられているということです。

 これは一見して禁欲生活を勧めているように思われます。主イエス御自身も、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(マタイ6:26)と、神の配慮に一切をお任せするように命じられました。しかし、主イエスは決して禁欲主義者ではなく、人生の豊かさを喜び楽しむことをも知っておられましたから、「大食漢で大酒飲み」(マタイ11:19)とうわさされるほどでありました。ですからこの無所有の規定はただ単に禁欲的意図で言われているものではないようです。

 むしろこの命令は、弟子たちが取るものもとりあえず。出立することを促していることばのようです。つまり宣教の緊急性を示している言葉であるということです。主イエスは神の国が極めて近いと考えておられたようです。それは「あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」(マタイ10:23)と言われるほどでありました、この神の国が来たときに、ユダヤの人々は、それに相応しい準備が整っていなければなりません。そのために主の弟子たちは、舟が沈もうとするときに、乗客が一人も漏れなく救命胴衣を身につけているように、そのつけ方をすべての乗客に知らせようと夢中になっている人のように、宣教に没頭しなければなりませんでした。それ故、自分のことに手間取ってはいられないのです。なりふりかまわず、時を惜しんで宣教に励み、人々の目を覚まさせるように、主は命じられたのです。

 このような姿勢は、自分たちの伝える福音が同胞全体の生死を決定する重大な意味を持っているという確信から出ています。主イエスは御自分の宣教に対して人々がどう決断するかによって、最後の審判における運命が決定すると考えておられました(8:38)。主イエスによる罪の赦しと救いとを知らされた者は、この主の力によって支えられることなしには人生を一歩たりとも先に進むことはできないことを知ります。そして、そのような力の源泉を人々にも伝えたいと願います。いや、、私たちが願うか願わないかに関わりなく、主御自身がその宣教を命じられるのです。(Tコリント9:16〜17)。主の福音を私物化してはなりません。私たちは取るものもとりあえず、宣教に励んでいかなければならないのです。

 第三に、弟子たちは伝道の旅において、一つの土地では一つの家に留まって活動するように命じられています(6:10)。伝道には人と場所を選り好みしてはならないのです。もし神さまが人間を選り好みされたならば、私たちのうちの誰が神の恵みを受けることができたでありましょうか。しかし主は人を差別なさいません。「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と招いてくださいます。この主の分け隔てをなさらない恵みを信ずるときに、罪深い私たちも主の恵みの中にあることを信じることができるのです。そしてその様な主の恵みを伝えるためには、宣教者自身がどこまでもとどまり、誰に対しても心を打ち込まなければなりません。もっと愛すべき人、もっと優れた人物があらわれたならば、そちらに乗り換えようというような、打算的な人間関係を通じてでは、福音は伝えられません。自分の前に立つ人を隣人とし、彼のもとに留まり続けなければならないのです。私たちと生活様式の違う人、生活感覚の異なる人のところに留まることは、忍耐を要することであります。しかしそのような忍耐を通して、人間的な好みによる集団ではなく、福音に基づく主の教会が形成されるのです。

 しかし、そのことは、人にへつらい、人の好みに合わせるということではありません。それは福音による忍耐と謙虚なのであって、この福音がさげすまれ、嘲笑されるようであるならば、私たちは敢然と「足の裏の埃を払い落とし」て(6:11)抗議のしるしとするように命じられています。福音は神の恵みのおとずれでありますが、それを拒否する者には裁きとなります。福音は人間を決断の場に立たせるものであって、甘えさせるものではありません。私たちは隣人のもとに留まり続ける覚悟と共に、福音の尊厳と神の栄誉を汚すことのないよう決意をしなければならないのです。宣教の終局の目的は、多くの人々の内で恵み深い主の業が成し遂げられ、御名があがめられるようになることです。

お祈りいたします。

父なる神さま。
御名を崇めさせてください。御国を来たらせてください。私たちの中に、また隣人の中に救いの御業がなされ、御名が崇められるために、私たちをおつかわしください。

御子イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン

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