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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 ルターの紋章日本福音ルーテル賀茂川教会  

牧師メッセージバックナンバーpastor'S message



「イエスの誕生、そして復活の希望へ」
 
                      
大宮 陸孝 牧師    

 
 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので拝みにきたのです。』これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった」。(マタイによる福音書2章1節~3節)

 12月になりました。教会の暦では、11月の終わりの週か12月の初めの週にクリスマスを迎える備えをする待降節(アドベント)に入り、礼拝ではアドベント・クランツに紫の蝋燭を灯し、毎週一本づつ増やして4本目が灯ると同時に真ん中の赤い蝋燭(クリスマス・ローソク)に火が灯り、クリスマスを迎えることになります。今年ももうすぐクリスマスがやって来ます。のぞみ保育園の年長の子供たちが降誕劇(ページェント)の練習に励んでいます。

 私たちも、聖書の伝える本当のクリスマスの出来事の意味を考えて見ましょう。マタイ福音書には、神の子イエスが誕生した時、ふしぎな人物が東の方から来て、誕生したイエスを拝んだと伝えられています。ページェントで子供たちが演じる三人の博士さんたちの登場です。

 その当時エルサレム、またユダヤ人が住んでいたパレスティナ地方はローマ帝国の支配下にあって、ローマは領主を立てて治めさせていました。ヘロデ大王といわれる人物ですが、もともとユダヤ人ではなく、エドム地方出身のアラブ人で、相当の知恵、政治力の持ち主で、領主として権力の座についておりました。そこへ東方の「博士たち」が、星に導かれてやってきたのです。

 東方とはどこかといいますと、バビロン、今のイラクのことです。ここは占星術(今の天文学)の盛んな所でした。不安な生活
、不安定な社会、その中で人々は何が未来の希望であるのか、模索します。当時も今と同じように、星占いの博士たちが、希望と不安が光と闇のように交錯している当時の情勢の中に登場して来るのです。人々は不安の中で、世界のより良き未来を臨み待っていたのです。

 ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。私たちは東方でその星を見たので拝みに来たのです。アラブの砂漠をらくだに乗っての旅は、何年もかかった長い旅であったことでしょう。イエス様がお生まれになる数年前の天文の状況を調べてみた人がいます。それによると、これは多分木星と土星が重なり、明け方大きく輝いたであろう、紀元前七年のできごとであることまではわかっています。

 このクリスマスの音信は、ヘロデ大王としては、自分の身を脅かすものとしてしか受け止めることが出来ず、不安に襲われます。この後、博士たちはエルサレムから少し離れたベツレヘムで生まれたばかりのキリスト・イエスを発見して喜ぶのですが、ヘロデ大王やエルサレムの人々はなぜ不安に襲われたのか、それは、一見強大に見え、人々を恐怖に陥れ、権力をもって人々を支配しますが、しかし、権力は永続しません。実にはかないものです。昔の光今いずこなのです。ヘロデはそのことを怖れたのです。事実、ヘロデはこの後2年後に死んでいます。

 そしてエルサレムの人々とは、ヘロデの権力になびいていた支配階層の人々のことであろうと推測されます。彼らは遠いバビロンから救い主の誕生を見たいとやってきた博士たちに、戸惑いながら、内心は旅人たちをあざ笑っていたとも受け取れます。彼らはイエスを拝みに行くことはありませんでした。メシアの生まれるその場所はベツレヘムと聞いた博士たちは、そこでお生まれになったイエスにとうとう会うことができました。そこには強大な権力を誇示するものはなにもありません。馬小屋のえさ箱に寝かされた生まれたばかりの嬰児でした。そして、そのそばには若い大工のヨセフ、その妻マリアがいるだけでした。しかし、そこに大きな喜びがあったと聖書は伝えています。

 神様が暗い闇夜を彷徨う旅人を明るく輝く星の光を手がかりに導いて、キリストのもとへ連れて来られ、そこに「大きな喜び」があった、と聖書は語ります。この喜びは、キリストのいますところでいつも起こる喜びです。本当の未来への希望がここにあるからです。そして、なによりもこの喜びは復活にいたるまで続く喜びなのです。私たちが新しくされるという、新しい命の誕生が私たちに於いても出来事となる喜びへと続いているのです。

 
                      2022年12月1日




「神と向き合い応答し合って生きる素晴らしさ」Ⅰ
「神と向き合い応答し合って生きる素晴らしさ」Ⅱ
「神と向き合い応答し合って生きる素晴らしさ」Ⅲ 


          
 「神と向き合い応答し合って
  生きる素晴らしさ」Ⅰ
   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。」                                 詩編130編1節~4節

 日本は世界でも数少ない教育に熱心な国で、識字率や計算力も知識力も高く、学習力(学ぶ力)もあります。2019年度国際学力調査では日本は6位となっています。しかし、それでは教育の中身そのものがうまくいっているかどうか。人間はそもそもどうすれば人間として健全に成長していくことができるのか。大学など上級学校へ進み、社会的な位置を占めてしまえばそれでよし、人間的成長についてはあまり考えていないのではないかと心配なことがあります。人間の成長は体だけのことではありません。心の問題、更に深く信仰の問題、別の言い方では魂の問題、全体的な意味での人間成長について考えさせられることが多々あるのです。

 現在日本に、世界に恐るべき悪がはびこり、わたしたちはまるで芥川龍之介が「蜘蛛の糸」に描いている血なまぐさい地獄に住んでいるようです。人間であることが恥ずかしく、辛くなるようなニュースを毎日テレビや新聞で見るのです。これではあの第二次世界大戦の悲惨な状況と何も変わらないではないか。人類の歴史の成長・進歩などいったい何処にあるのかと思うほどです。

 「荒れ野の四十年」(岩波新書)、これはドイツのヴァイツゼッカー大統領が、1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年にあたって連邦会議で行った演説で、その素晴らしい内容は、日本でも有名になり、同じ年、靖国神社へ公式参拝を強行した中曽根首相とのあまりにも違うあり方に、心ある日本の人々を嘆かせたのでした。

 演説の中でナチスの犯した犯罪に触れ、このように述べています。「・・戦いが終わり、筆舌に尽くしがたいホロコーストの全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配すら感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。・・・罪の有罪、老幼を問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのです。心に刻みつけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼互いに助け合わねばなりません。また助け合うのです。問題は過去を克服することではありません。さようなことはできるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし、過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危機に陥りやすいのです。」重要なのは、ドイツの敗戦後の40年の歩みを、エジプトから脱出してイスラエルの荒れ野を旅する旅路になぞらえていることです。現在荒れ野を進行中と表現していることです。

 その敗戦後の歩みの中で、教育や文化の分野では、たとえば親たちは子供が戦争ごっこをやることさえ神経質になったほどだったと聞きます。暴力や戦争の美化につながるような書籍、映画、ビデオなどが一般の目に触れることもほとんどなかったと聞きます。大統領をはじめ政治家たちはことある毎に「過去を忘れるな」と繰り返しました。

 日本ではこうしたドイツの歴史観に対して自虐的だと繰り返し主張しています。そこには、日本に於いての敗戦後10年そこそこで「もはや戦後ではない」と言った歴史のとらえ方と根本的に違う視点があるのですが、それが日本の人たちから見ると「ドイツの人たちは、反省と自分を責めることに生きがいを持っている。まるでマゾヒズムだ」ということになるのです。

 日本はなるほど戦後の荒廃から急速に復興が進められてきました。しかしその物質的反映の奥にどれだけ「荒れ野」を見る目を持っているかが問われているのです。「荒れ野」とは何か。それは日本が民族として犯した罪責のことです。それをどれだけ心に刻んで共に負って行こうとする姿勢を持っているのだろうか・・・以下次号で歴史の闇と悔い改めと回復について述べます。
 
                      2022年9月1日



 「神と向き合い応答し合って
  生きる素晴らしさ」Ⅱ
   

                      大宮 陸孝 牧師

 9月のメッセージの続きです。もう60年も前のこと、私が16歳の夏頃から、「罪と罰」から始まって「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」とドスとエフキーの小説を次々と読み続けて行きました。そして、この時代の自分を振り返ってみますと、心の中は「混沌」としていたように思います。ドスとエフスキーの小説を読むことを通して、人間の闇の部分を見てしまったように思い、漫然としたものでしたが、他者、社会、歴史と関わっていく上で、自分を方向付けて行く原則というか、原理というものを持たない自分を意識させられ、不安を抱えてしまいました。

 そしてニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の超人思想に行き当たります。ニーチェの言う「超人」とは、恨みやねたみの感情を持たず、いやな出来事はすぐ忘れ、今までの価値観に捕らわれることなく常に創造力のある人間を意味します。ニーチェはこれまでの最高価値であった神の存在すら否定して「神は死んだ」とまで言い切っています。人間は自立した主体的な人格なのだとニーチェは言っているのだと私は理解しました。がしかし、私にとってそれは解決にはなりませんでした。自分の人格の本質を変えて新しく自己を確立していくなどということがいったい誰に出来るのだろうかという大きな疑問を持ちました。その疑問によって私は逆に教会へと足を運ぶことになって行ったのでした。そして、自分で自分の心の闇を解決することはできないと悟らされていったのです。人間を無条件に愛する他者として何処までも追い求めてくださる神に出会うことになるのです。

 それで、その信仰を修得していく歩みの中で、もう一度自分の心の変遷を総括していく作業のプロセスの中で一つの発見をすることになります。それは、ドストエフスキーは単なる1個人を問題にしているのではなく、社会、国家という人間の集団の中での人間性の問題を扱っているのだということです。それは具体的に言いますと、当時は資本主義から社会主義への移行期に当たり、レーニンによって社会主義共和国が形成されていく時代状況の中で、ドストエフスキーは、人間の本性から見て、共産主義社会は絶対主義になるということ、それは必ず自己崩壊を遂げていくことを予見しているのだと言うことです。その後の世界の歴史の流れをつぶさに見ても、このドストエフスキーの人間性の本質を描くことが自然と人間社会の未来の預言になっていった深いものであったということを改めて認識させられます。

 さてそれで、日本の第二次世界大戦のこと、一人の作家吉田満のことを取り上げて、上記の人間性の本質の問題を考えて見たいと思います。吉田満は1943年東京帝国大学法学部(現・東京大学法学部)2年の10月に、20歳にして学徒出陣により海軍二等水兵として海軍に入団し、1944年12月、海軍電測学校を卒業し、少尉に任官され、戦艦大和に副電測士として乗艦を命ぜられ電探室勤務となります。満22歳になった翌年1945年の4月3日、戦艦大和に沖縄への出動命令が下り、吉田も天一号作戦(坊の岬沖作戦)に参加します。連合艦隊はほとんど壊滅し、護衛の飛行機も一機もない中、米戦艦に埋め尽くされていた沖縄の海に向け出発した戦艦大和は7日、徳之島西方の沖に着きます。その日、吉田は哨戒直士官を命ぜられて艦橋にいて、8回にわたる米軍機約1000機の猛攻撃を受け、戦艦大和はあえなく沈没し、吉田は頭部に裂傷を負ったものの、辛うじて死を免れたのですが、多くの同胞の死を目の当たりにしたそれらの壮絶な体験は生涯消えることのない記憶となって行きます。その後、吉田はまだ傷が完治しないまま入院していた病院を希望退院して特攻に志願し、人間魚雷回転の基地に赴任しますが、命じられた任務は特攻ではなく、基地の対艦用電探設営隊長でありました。戦後吉田はこの戦争の体験を「戦艦大和の最後」として記録に残し、GHQの検閲により全文削除処分となる等の経緯を辿りましたが、やがて世に出ることとなるのです。この中にわたしたちが見落としてはならない重要な証言がありますので、それを次号に紹介しようと思います。

 吉田満はその後キリスト教と出会い、1948年3月カトリック教会にて洗礼を受けています。

                2022年10月1日



「神と向き合い応答し合って
  生きる素晴らしさ」Ⅲ
   

                  大宮 陸孝 牧師

 10月号の続きです「戦艦大和の最後」の著者である吉田満は、学徒動員招集に対して、勝ち目のない戦争であり、死に赴くものであることを充分認識しつつ応じて行きました。そして、多くの戦友たちの死を目の当たりにしました。そして戦友たちの死に思いを馳せながら、次のように述べています。「彼らは自らの死の意味を納得したいと念じながら殆ど何事も知らずして散った。その中の一人は遺書に将来日本が世界史の中で正しい役割を果たす日の来ることをのみ願うと書いた。その行く末を見届けることもなく、青春の可能性が失われた空白の大きさが悲しい。悲しいというよりも、憤りを抑えることができない。」

 吉田はまた、戦艦大和の乗組員の若い兵たちが、どのような会話を交わしたかについて次のように記している。「我々同士は、私語せねばならなかった、――戦いは必敗だ。いや、日本は負けねばならぬ。負けて悔いねばならぬ。悔いて償わなければならぬ。そして救われるのだ。それ以外に、どこに救いがあるのか。――然り、めでたき敗戦の日までの決死行。俺たちこそその先駆け。新生へのはえある先導――微笑を含んだ声がこたえる。だがその微笑のなんと弱く、寂謬をさえ含んでいたことであろう。我々はぎりぎりの確信を欠いていたのであった。」
  (「死・愛・信仰」『新潮』1948年12月号)

 あの戦艦大和に乗った兵たちが「日本は負けねばならぬ。負けて悔いねばならぬ。悔いて償わなければならぬ」と考えていた。自分たちの運命を「めでたき敗戦の日までの決死行。俺たちこそその先駆け」と断じていた。しかし、「我々はぎりぎりの確信を欠いていた」と言う。なぜか。それは「負けて悔いねばならぬ」としても、その悔い改めの対象たるべき神を持たなかった、知らなかった。明確な神観を欠いていたからだということであった。まさか、多くの招集に応じた人々が、戦勝祈願をして出兵して行った当時の軍国日本の神である国家神道の神々に対して、このような悔い改めなど出来ないことであった。

 この悔い改めるべき対象を持たないまま敗戦を迎えた日本の社会に、吉田満は更に問いかけています。「戦後の日本社会は、どのような実りを結んだか。新生日本の掲げた民主主義、平和論、経済優先思想は、広く世界の、特にアジアを中心とする発展途上国の受け入れるところとなり得たか。政治は戦前とどう変わったか。我々は一体何をやって来たのか」結局あの戦争の総括も、平和と民主主義への決意も、すべてが不徹底のまま日本は時流に押し流されて行った、その根本原因がこの確信を欠いていたことにあるということになる。敗戦を神の審きとして受け止め、神のみ前に真に悔いることをしなかった。その結果が今まさに現代日本の状況の中に様々な形で表れて来ているのだということです。

 私は改めて世界の矛盾の大きさ、その闇の深さを思い知らされます。この世界に未来はあるのか、この世の暗黒は決して生やさしいものではない。このままでははっきり言って未来はないと思っています。悔い改め無き人間の罪による世界の歴史の終焉の時が必ず訪れます。神様に祈ればなんとかしてくださると考えるのは、人間の罪に対して余りにも楽観的過ぎます。人間の罪に対して審きなしでは済まされないそれが厳しい現実なのです。この点を私たちは誤解してはならないのです。

 そして、神はまさにその人間の罪の悲惨の現実のただ中に来られたのでありました。いつの世にも世界史に於いて起こっているのは、世俗の出来事です。そこでは戦争があり、殺し合いがあり、領土の取り合いがあり、捕虜になったり、釈放されたり、そのような世俗の出来事が起こっています。そしてそれは、度合いに於いても、広がりに於いても、時代と共に螺旋状に拡大している。しかしまた、その世俗の出来事のただ中で、まさに神の私たちを救う働きもまた現実に起こったのです。神がヘロデによる殺害の嵐の吹きまくるただ中に、一人のみどり子として生まれ、十字架への道をまっすぐに歩み抜かれて、私たちに訴えておられることがある。それは、この世の悲惨が最後のものではない、死が最後のものではないということです。私はここ以外に人間の罪の悲惨に応え得るものを見出すことは出来ません。私にとって悔い改めとは、自らに執着するのを止めて、この神が愛の計らいのもとに与えてくださった新しい希望に向き直って行くことであるのです。人は何処で神の声を聞くか、神はそこにおいてこそ、一切をはぎ取られて一人で神の前に立つほかなくなった私たちに恵みの言葉を語りかけたもうのです。



 「神はわたしたちを
  愛によって創ってくださった」
   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
  世界の価値観の多元化、多様化の中で、異質な存在に対して排他的になるのではなく、寛容性が重要であると二十世紀後半に言われ、その特徴を清水幾多郎氏は「相違するものの共存」と言っています。第二次世界大戦後の世界の歩みは戦争の危機を孕んだ対立の中で、微妙にパワーバランスを保ちながら共存するという形を維持してきました。政治的な意味での世界の持続可能性を対話と共存に求めていたわけです。

 ところがベルリンの壁が崩れて、一枚岩を誇った共産主義国家が音を立てて崩れたことによって、これまで相違点を攻撃し、敵愾心を煽り立てながら、理性的には自己コントロールをして、敵と共存をして来た危なっかしい対立構造が終わり、世界の人々は、極端な対立のない本当に平和な、新しい時代が来ると期待しましたし、新しい世界秩序の構築の努力をして来たはずでありました。

 しかし、冷戦が終わり、東西対立が収束したその後に、平和どころかむしろこれまで以上に複雑な個(強固な民族意識、血族的集団帰属意識、国家意識等々)が台頭して、他との対話を拒否したような地域紛争があちらこちらで噴出し、これまで以上に陰湿な争いを展開し、これまで以上に複雑な争いで、ずたずたに引き裂かれ、あげくは軍事大国によって、相違する者とは共存できないとの自己主張が大手を振って宣言され、侵略される事態にまで至っています。停戦を求めても、対話を求めても一筋縄ではいかない難しい事態です。このままでは人間の歴史は、結局、我(エゴ)の拡大によって、神の恵みの下に生かされている多数の命を巻き込みながら絶滅して行くことになるのだろうか。それはあまりにも神の恵みに対して無責任過ぎます。ここはもう一度神が人間を創造された経緯に立ち戻って、私たちの生き方をよく考えるべき時であると思います。

 キリスト教は、よく言われるような絶対性、絶対的な真理というものを主張し、不寛容になることではなく、主イエス・キリストの教えと業から、超越的な神が歴史に内在され、働いておられることを認識していく信仰であります。つまり、私たちの歴史や文化のあり方に形を変え、一つの宗教という形を取ったキリスト教という、あくまで相対的なものと、その相対的なキリスト教を生み出し、継続されているイエス・キリストの新しい人間創造の働きとは本質的に違うものであることをまず認識しなければなりません。そうでないと私たちの神理解はいつでも的外れなものとなってしまいます。

 先ず神は私たち人間の主体性をどのように造られたかを聖書によって再確認しておく必要があります。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」(創世記1章27節)と教えています。これは神の似姿という言葉で表現され、よく知られている内容です。神の似姿とは、神が祝福の内に創られた本来の人間そのものを言っています。人間は神ではありません。また、神は人間ではありません。そのことを聖書ははっきりと語っています。人類史に於いてはその混同が繰り返しなされて来ました。また神は、歴史的空想や幻想や精神的弱さに起因する人間の側からの投影ではありません。現実的な神による人間の新しい創造の出来事なのです。

 神は歴史の中に自らを顕し示されました。神ご自身が私たちの歴史に登場しました。それがイエス・キリストです。その出来事を私たちが経験することによって、私たちは神と出会い、その働きに触れ、神とはどういう方なのかを認識することができるようになりました。人間となった神、ナザレのイエスの生涯と十字架と復活の出来事を通して、神は私たちと共生される方です。今も私たちの命を生かし支え導くために働いている方です。

 「ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(Ⅰヨハネ4・9)神の本質と性格を明確に示す言葉です。聖書が示す神は、歴史上の時と場所に人間イエスとして顕れ、人格的に私たちと向き合い、神の愛を注いでくださり、人々が隣人を愛することを可能とする力の根拠・源泉となってくださいました。「その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。」(Ⅰヨハネ4・9b)まさに私たちが人間としての主体を生きるとは、神の愛に生きる者とされることであり、これが神の似姿として創造されたということです。私たちがその本来の祝福された命に新たにされるためにイエスに出会う場所が教会なのです。
 
                      2022年7月1日



「わたしのところに連れて来なさい」   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「イエスはお答えになった『なんと信仰のない時代なのか。いつまで、あなた方を我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れてきなさい。』人々は息子をイエスのところに連れてきた。・・・イエスは・・・汚れた霊をお叱りになった。『ものも言わせず、耳も聞こえさせない霊、わたしの命令だ。この人から出て行け。二度とこの子の中に入るな。』すると、霊は叫び声を上げ、ひどく引きつけさせて出て行った。・・・イエスが手を取って起こされると、立ち上がった。イエスが家の中に入られると、弟子たちはひそかに、『なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか。』と尋ねた。イエスは、『この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ』と言われた。」  マルコ福音書9章19節~29節

 上記に引用した聖書は耳が聞こえずものも言えない息子と父親の「奇跡物語」です。この物語をマルコ福音書記者はどういう意図で福音書に記したのか、前後の文脈を見ると明確になって来ます。この物語の前には、第一回目の十字架に掛けられ死ぬとの受難予告の後に、ペテロが「そんなことがあってはなりません。」と否定的な反応があります。イエスに間もなく起こるであろう受難と死と復活の予告ついて弟子たちは聴こうともせず、ものも言えない状態を維持しているのです。ペトロは早い時期にイエスを救い主(メシア)と告白したのに、イエスを脇へ連れて行き咎め始めたとマルコは記します。イエスの差し迫った末路に関しての驚くべき無理解をあからさまにしているのです。マルコはこれを前提とした上で奇跡物語を次に導入しているのです。ですから、この奇跡物語はイエスの非常に切迫した状況との関係で読んでいくことによって真の意味が見えてくるということです。

 これを読んで驚くことは、この息子の発作状態を驚愕せざるを得ないような激しさで描いていることです。聖書の中で病人の症状についてこれほど詳しい説明をする例は他にありません。聴く者をただおびえさせ絶望的に感じさせるだけの状況説明をマルコは繰り返し宣べるのです。息子の命は文字通り死に脅かされているだけではなく、自分自身の意思と意識を遙かに超えた力によってコントロールされていることが分かります。彼は自分を制御すること、人との関係を保つこと、人間らしい振る舞いをすることから完全に閉め出されています。症状の深刻さは彼の身体的無力さを表していると同時に、父親の絶望感をも示しているのでした。見通しは暗かったのです。また父親はイエスに助けを求めた時でさえ、霊を追い出すことが出来ない弟子たちを目の当たりにした後では、イエスの癒やしそのものについても半信半疑の状態になっていたのです。「もし何事かおできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」(22節)と彼の希望を宣べています。

 「憐れむ」とは、自分たちの痛み、試練、そして激しい苦難を本当に分かってもらえる誰かを探している父親の切実な思いを表しています。それは裏を返して云うと彼らの苦悩の状態を本当に分かち合ってくれる者が誰もいなかった事をも表しているということでもあります。

 イエスの十字架での苦難と死という無力な道を受け入れることが出来ない弟子たち、そして悪霊払いに失敗すると言う、人間の最も深い魂の危機状態に対する無力さと、弟子たちの内憂外患こもごも至る大変困難な状況に立ち往生している絶望的な状態は、実はイエスの死後に経験するであろう弟子たちの姿をそのまま反映させたものであると言うことができます。

 このような状況の中で弟子たちが立つべきはどこであったのか? 主イエスは「わたしのところに連れて来なさい」と言われます。そして、「この種のものは祈りによらなければ」とも言われます。この世の深刻な危機に際して私たちが先ず以てしなければならないことがここに示されています。私たち一人一人が主イエスのもとにいくこと 、そして祈ることであります。それは弟子たちの生きる関連でいうならば、信じがたいことに抵抗しながら主イエスに信頼を置き、自分自身を捨て、自分の十字架を負って主イエスに従うこと以外の何ものでもありません。 
             

                      2022年6月1日



  「平和の君イエス」   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 昨年のクリスマスに、のぞみ保育園年長組の子供たちの降誕劇を通して、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」との天使のメッセージを聴きました。主イエス・キリストは平和の主としてこの世界にお生まれになった、これがクリスマスの本当の喜びであることを示されました。

 しかし、平和ほど誤解されやすくまた濫用されている言葉もありません。また平和ほど脆く、はかないものもないとも思います。1945年第2次世界大戦が終わる間もなく、朝鮮動乱が勃発し、それが収まったかと思えば今度は1955年から1975年まで、20年にも及ぶベトナム戦争、そしてアメリカとソ連の冷たい戦争が1991年のソ連崩壊まで続き、さらにドイツの東西分離が1992年ベルリンの壁崩壊まで続いて、それがようやく終わったかと思えば、今度は2003年3月から2011年まで中東のイラク戦争と続きました。そして、その間にもイスラエルとアラブの紛争があり、敵味方に分かれて未だににらみ合っています。このエルサレムほど、2000年以上も昔から戦場になり、流血の惨を味わった所はありません。そして、今年の2月ロシアとウクライナの戦争が始まってしまいました。毎日凄惨な戦場の様子が私たちの家庭に映し出されて、私自身、身も心も壊されて行くのを感じています。

 戦争を始める者はその戦争を正当化して、正義の戦いであることを主張します。ロシアのプーチンは自分は平和のための戦いをしているのだと主張し、世界平和のために祈るとまで言っています。しかし、聖書は繰り返し繰り返し、正しい戦争などあり得ないことを私たちに告げます。

 なによりも私たちは、私たち人間がどんなに正しいことを行っていると自分で思ったとしても、その心の中はどろどろした身勝手な自己中心の思いから出ているのであり、それによって傷つけられている人々が大勢いるのだということ、多くの場合そのことさえ気づかずに自らのみを正しいと思い込んでいるだけであることを十字架の主を仰ぐ時にしみじみと身にしみて知らされるのです。
 主イエスはどのような意味で平和の主なのかを次のように言われます。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ福音書25章40節)私が人を傷つけながら生きていると言うことは、とりもなおさず主イエスの御心を傷つけながら生きているということなのです。神の御心がわからないで、自分勝手な生き方をしているそれを罪というのです。その的外れな生き方の延長線上に戦争があるということになります。このままいけばいずれは人類は自らの罪の故に滅亡する。そのことを聖書は何度も何度も私たちに警告しているのです。

 それだけではなく、主イエスはその滅びに至る私たちの的外れの結果を自ら引き受けて私たちの身代わりとして十字架の死に赴かれたのだということです。そのことを私たちは「救い」と言っているのです。そのことに気づかされてはじめて、私たちがこの神の救いの働きに深々と頭を下げる姿勢が生まれてくるのです。

 自分を犠牲にして他者を生かす。主イエスはそういう意味で平和の主なのです。平和の君イエスは、自分は傷つけられ、傷つけられつつなおも、どこまでも深くわたしたち小さい者、不完全な者、傷ついた者、苦しみの中にある者、悩める者、病気を患っている者を、愛と憐れみと慈しみの心で包んでくださり、癒やしてくださる方なのです。私たちの自己回復の道はこの方の愛のもとにあるのです。 
             

                      2022年5月1日



「神はわたしたちを命をかけて守る」   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「あなた方の中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。そして見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 ルカ福音書15章4節~7節

 神様が人を慈しみ愛されることを、親子の愛にたとえるときには、子に対する親の情愛というものは、その表現方法には違いはあるかもしれませんが、時代や文化を越えた不偏なものであるでしょうから、私たちはそんなに抵抗なくこれを受け入れることができるでしょう。しかし羊飼いのたとえということになると、羊飼いなど見たこともない私たちには、わかりにくいたとえであろうと思います。

 パレスティナでは現在でも羊を連れた羊飼いを見ることができます。私が三十数年前イスラエルの旅をした時に、荒れ野で羊たちを連れた羊飼いの人たちを、一度ならず見かけました。二千年前のイエス様の時代には、イエス様が羊飼いをたとえにして話せば、恐らくそれを聴いていた人たちはみんな生き生きとした神様と人間の関係を思い浮かべることが出来たのだろうと思います。

 私は中国大連で生まれ、敗戦後一歳になるかならないぐらいで、舞鶴港に母親と兄弟たち総勢六人で引き上げて来ました。そして、それから八年後戦争の悲惨な状況がまだまだ生々しく残っていた復興途中の時代でしたが、ある日のこと、父親が突然乳牛を連れてきました。なんとか生計の足しにしようと考えてのことであろうと思いますが、それから毎日牛のえさをやったり世話をする仕事が私に課され、雨の日も風の日も、学校から帰ると直ぐに牛を連れて山に行き、草を食べさせる間、私はずっと牛の手綱を持って立ち尽くし、牛が草を食べるのをじっと見ていたものでした。それで、私は牛が本当に悲しい時には、涙をぽろぽろ流して泣くということも知っています。

 乾燥していて暑気の厳しいパレスチナでは、家畜には毎日規則正しく水をやる必要があります。羊飼いはいつも羊の群れの先頭に立って羊たちを牧草地や水辺に連れて行かなければなりません。また野獣や盗人たちが出たときには、まず自分でこれらと戦わなければなりませんでした。ヨハネ十章には雇われている羊飼いのたとえがありますが、雇われている人間は、狼が襲ってくれば自分の命が大事なので羊を置き去りにして逃げるけれども、良い羊飼いは羊のために自分の命さえ捨てるのだ、とイエスは言います。

 羊飼いたちは、自分の羊には一匹一匹にその羊の特徴を表すような名前をつけて、どの羊は体力が弱いとか、病気にかかりやすいとか、迷子になりやすいとか性格もよく知っていたようです。羊たちも決して飼い主の声を間違えるというようなことはなかったと言われます。また羊飼いたちは羊を守るために、石投げの技術に熟練していたようです。皮や毛で編んで帯状にして中央の部分に石を載せ、両端を手に持って頭の上で振り回しひもの一端を急に離して石を飛ばす技術です。野獣や盗賊との戦いのためだけではなく、羊の群れを守るために犬を持っていなかった彼らは、群れから離れて行きそうになった羊の鼻の先に石を落として、羊を群れへと引き戻すためにもこの石投げの技術を使ったということです。

 「羊飼いは立っている。まどろむことなく、眼光を闇深くとどかせ、風雨にさらされ、杖にもたれて、彼は散在する羊たちに眼を注いでいる」慈しみ深い神の守りの御手に帰ろうと、主イエスは私たちに呼びかけておられるのです。 
             

                      2022年4月1日



いと高き方の力があなたを包む   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。・・・神にはできないことは何一つない。』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』」    ルカ福音書1章35節~38節

 「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、跪いてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしたから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください』」    ルカ福音書22章39節~42節

 主イエスの降誕物語の中で、この出来事をどのように受け止めたら良いのか戸惑うマリアの姿とわたしたちの思いとは重なっているように思います。その戸惑うマリアに天使はとても大切なことを伝え、マリアはその伝えられた天使の言葉に素直に応答しているのが上記の聖句です。

 「いと高き方の力があなたを包む」これは、つまり、これからあなた(マリア)を通して起こる出来事は、神の意思によって起こることなのだから、神に信頼してその御意思にあなた自身を委ねなさいということでした。その天使の言葉に対してマリアは、「お言葉どおり、この身に成りますように」と応じています。戸惑い、困惑、不安の中でそれに抗するようにして、マリアは神の御意志が成りますようにと応じたのです。

 51節を読みますと「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き下ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」とマリアは主を賛美しています。

 時あたかも、思い上がる者、権力ある者が力を奮っている中で、人々は、体調のこと、お金のこと、家族のこと、政治の貧困など、不安や心配を数えるときりがないような状況の中で、そのような人々を押しつぶしてしまうようなもろもろの力よりも、小さな者への神の憐れみと慈しみの力へマリアは信頼を寄せようとしているのです。

 それが「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」
と賛美している内容です。ルターは「神の御目はただひたすら底深い所を見て、高き所は見ておられない」と言いました。

 さてこのマリアの「お言葉通り、この身に成りますように」という神への応答の言葉と重なっているのが、上記ルカ22章42節の主イエスのゲッセマネの園での祈りです。
「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」ここにマリアの神の言葉に対してのみ自らを開くその姿勢が、イエスのゲッセマネの園での祈りに非常に象徴的にあらわれている、それが「御心が成るようにしてください」という言葉であるととらえることができます。この二つは相呼応しているのです。

 ここにはイエスという存在は、初めから終わりまで人という土の器の低さを担いきった神である、という信仰があります。人が人として生きるということは、あくまで人が人に留まり、土の器に留まり、人間らしくあることであり、そして、神の言葉に己が身を開くか否かにある。人が神にならないように、神が愛の人として自らわたしたちの所へ降りて来てくださり、神の意志を貫いて生きてくださったのです。「あなたを包む神の力」とは「神の愛の力」のことです。
 
             

                      2022年3月1日





主の愛に立ち帰ろう   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように我々を訪れてくださる。」・・・わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす捧げ物ではない。 旧約聖書 ホセア書6章1節~3節、6節

 ホセアは、紀元前八世紀の後半(前750年以降)に南北に分裂したイスラエルの北イスラエル王国で活動した預言者です。この時代北イスラエル王国は、メソポタミアの強国アッスリアによって脅かされ、ついに侵略され、滅ぼされてしまいます。(紀元前722年)ホセアは恐らく、この北イスラエル王国滅亡の20年くらい前から、この滅亡の時位まで活動したと思われます。国家滅亡という大惨事を自ら体験した預言者です。そして恐らく、なぜ、神の民イスラエルが滅ぼされたのか、ということを真剣に考え分析したということでしょう。5章8節以下は、北イスラエル王国がアッスリア帝国によって蹂躙された事件が背景になっていると考えられています。

 アッスリア帝国の王ティグラト・ピレセスⅢ世という人物は、非常に権力欲の強い人物で、古代オリエント全土を支配下に治めようという野心を抱いていたようです。シリアやイスラエルはその野心の犠牲になったのです。イスラエルの特に北の地方、後に主イエスの故郷となるガリラヤ地方が蹂躙されたのです。

 アッスリアは、好戦的で、残虐な軍隊として知られていました。その攻撃を受けて、イスラエルの多くの人々が悲惨な状態になり、弱り果てたのでした。そのような状態の中にあって、国土が荒廃しただけではなく、人々の精神も荒廃したのです。イスラエルの民の主なる神への信仰も、アッスリアの支配の影響を受け偶像礼拝化して行きました。そこでホセアは、イスラエルの人々の罪を指摘して、悔い改めを勧めたのです。

 上記の6章1節~3節は、イスラエルの祭儀で用いられていた「懺悔の歌」から引用されたものです。「懺悔の歌」とは、国が重大な危機に見舞われたとき、たとえば戦争に負けたときとか、疫病に見舞われたときとか、天変地異に見舞われたときに、人々がひとつところに集まって、断食をしたり、灰をかぶったりして歌われた歌です。罪を悔い改めて、神に助けを祈り求めたのです。

 罪とは的外れを意味します。災難をもたらした原因は自分たちの的外れな生き方にあるとして、それを悔い改めること、つまり方向転換をすることでした。人間は神によって命を与えられ、神によってこよなく愛されている。この神との愛による応答関係に生きることが人間の本来の生き方でした。しかし、人間はこの神との愛の関係を生きることから離れ(これが罪の本質なのです)、自分中心に、欲に従って生きてしまう。これがあらゆる災難という結果に結びついていくと分析しているのです。

 その本来の生き方からそれてしまって、自分の考えで間違った方向に歩んでしまっている歩みを、本来の生き方へ方向転換して立ち戻ることが、悔い改めということなのです。

 ホセアは、「主を知ろう」と勧めています。この知ると言う動詞(ヤーダー)は、知的・観念的に理解すると言うよりも人格的な関係、深い愛の関係を言い表す言葉です。神との深い人格的な関係、つまり神を心から信頼するとか、神に心から信頼し従う、ということを意味しているのです。

 神の愛への立ち帰りは、現代の私たちにも呼びかけられているメッセージでもあり、神はその機会を恵み深く与えてくださってもいるのです。その一つは主イエスが私たちに代わって、私たちの的外れの生き方の結果を引き受けてくださった十字架において、もう一つは弱い私たちのために神の恵みの言葉によって新たな命の息吹を与えてくださり、私たちの心を導いてくださっていることにおいてです。愛の主に立ち帰り神の招きに応えて行きたいものです。             

                      2022年2月1日




私の心の故郷   

                      
大宮 陸孝 牧師    

              
 「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリアの総督であった時に行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。」                   ルカによる福音書2章1節~5節

 新年おめでとうございます。年末年始を里帰りで故郷で過ごした方もおられるかと思います。コロナ禍での帰省は今年はどうなるかと案じておりましたが、Uターンの新幹線乗車率はほぼ満席、高速道路も渋滞10キロから20キロと例年並みの混雑ぶりであったようです。この時期になりますとクリスマスの出来事を語る聖書の言葉で、特に上記のルカ福音書の箇所が心に浮かんで来ます。

 2章3節に、「人々は皆、登録をするためにおのおの自分の町へ旅立った」とあります。クリスマスの日にそれぞれ自分の町に帰っていった。この「自分の町」を、「自分の生まれた町」と訳している聖書もあります。文語訳まで遡ると、「各々その故郷に帰る」となって、「自分の町」を「ふるさと」と訳しています。クリスマスの時に、人々はそれぞれ生まれ育った町に、故郷に帰って行ったのです。「自分の生まれ育った町に、ふるさとに帰る」。クリスマスは、そのふるさとに思いを馳せる時であったのです。

 故郷を想うことは、自分のこれまでの歩み、来し方に想いを馳せることでもあり、そして自分のこれから、行く末を思い巡らす時でもありますが、ヨセフとマリアそしてその他の大勢の人も「人口調査をせよ」との支配者の命令で、登録をするために、各地からこの生まれ故郷ベツレヘムに、帰って来たのです。このユダヤの寒村ベツレヘムに主イエスは誕生しました。その日はベツレヘムは帰郷した人々であふれかえっていました。宿にも、民家にも、もう人の入る余地のないほどでした。夜遅くまで明かりの灯る村の賑わいに、人々は、「ふるさと」の喜びを味わっていたに違いありません。

 主イエスが誕生したベツレヘムは私たちが里帰りをする町を象徴するような町でした。マタイ福音書2章には、「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で、決していちばん小さいものではない」と記されています。「いちばん小さいものではない」と言われるほどに、ひなびた小さな村であったということでもあります。またダビデの町としてもよく知られていました。ダビデの出身地でありました。また、ベツレヘムはルツ記の舞台でもあります。ナオミとルツの物語でもベツレヘムは多くの人々にとって親しみのある町でした。そうした歴史を通してベツレヘムは人々の魂の故郷になったところでありました。

 そこに主イエスが生まれたのです。神が人間となって私たちのところに降りてこられたところとなったのです。主イエスを救い主と信じる全世界の人々の魂の故郷となったのです。その故郷に私も想いを馳せて、そこで生まれた主イエスをシメオンのようにしっかりと両腕に受け止めて新しい年も生きて参りたいと思うのです。
             

                      2022年1月4日

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