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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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2023年3月礼拝説教


★2023.3.26 「キリストの復活の命に照らされて」ヨハネ11:17-45
★2023.3.19 「~の愛の働きが見える」ヨハネ9:13-25
★2023.3.12 「イエスの愛はわたしの内で泉となる」ヨハネ4:5-26
★2023.3.5 「さあ、新しく生きよう」ヨハネ3:1-12

「キリストの復活の命に照らされて」ヨハネ11:17-45
2023.3.26 大宮 陸孝 牧師
 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネによる福音書11:25)
  ラザロの復活の出来事は、ヨハネ福音書の中では、イエス・キリストのほかに死人の中からの復活を伝える唯一の物語であります。そしてこれは、死人の中から復活されたイエス・キリストによって、わたしたち人間が死を超えて生きるものとされていること、つまり、主イエスが14章19節で言われているように「わたしが生きているので、あなた方も生きる」ことを生き生きと伝えている物語であります。

 ラザロは、主イエスに仕えた姉妹としてヨハネ福音書に伝えられているマルタとマリアの兄弟です。彼らの家はエルサレムに近いベタニアにありました。ラザロが瀕死の病に襲われたとき、マルタとマリアはすぐにこのことを主イエスに伝え、すぐに来てラザロを癒してくださるように願いますが、主イエスはすぐには来てくださいませんでした。そのうちにラザロは死んでしまいます。姉妹たちは深い悲しみの中でラザロを墓に葬りました。ところがそれから四日も経った後に、主イエスはベタニアにやって来ました。主イエスを迎えたマルタとマリアは、11章21節と32節で「主よ、もしここにいてくださいましたなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と彼女たちの心の中の無念を異口同音に訴えています。

 彼女たちは、愛する者の死に直面して、何度も~に取りすがって、助けてください、と必死の嘆願をしたことでしょう。そして自分たちの祈りの無力さを感じると、主イエスにすがって願いを聞き届けていただこうと、主の来られるのを一日千秋の思いで待っていたのでしょう。しかし間に合わなかった。今となっては何をやっても無駄であります。

 そのような死という厳しい現実を突きつけられて悲しみにくれているところに、イエス・キリストがやって来られます。マルタとマリアが願ったときではなく、イエスご自身の定められた時であります。主は必ず来てくださるのです。そして主は「ラザロをどこに葬ったのか」と問われます。人々は「主よ、来て、ご覧ください」と葬られているラザロの墓のもとに案内しました(34)。人の死に際して私たちのできることは、主をその人のもとに案内することであります。執り成しの祈りをすることであります。

 主イエスはラザロの墓の前に立たれたとき、「涙を流され」ました(35)。新約聖書の中には主イエスが笑ったと言う記事は殆どありませんが、泣かれるキリストが描き出されています。マルタとマリア、そして「一緒に来たユダヤ人も泣いているのを見て」(33)イエスも泣かれました。泣く群れと一つになって泣かれるのであります。人間の弱さを自分のこととして受けとめてくださるのです。キリストは人間と連帯して生きられるのです。

 このキリストの涙は「共観の涙」です。カナの婚礼のときに(2章)、婚礼の最中に祝いのぶどう酒が無くなったとき、キリストは水瓶に満たした水をぶどう酒に変えて困窮を救われましたが、そのことを起こされたのは、人間の欠乏状態に対するキリストの共観でありました。二つの音が重なり合うとき、その二つの音の波長が違うと、お互いに打ち消し合って、音は小さくなり消えて行きますが、波長が同じであると相互に強め合って大きく響きます。共鳴現象です。わたしたちの心も、喜びにつけ悲しみにつけ、一人の人の心にもう一人の人の心が深い共感をもって響き合う時に、そこに心の共鳴現象が起こり、大きな力が働きます。

 このときキリストは、ラザロの姉妹たちが泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て「心に憤りを覚え、興奮した」と、記されています(33、38節)。「憤りを覚え」と訳された言葉は、「不快感に心を揺さぶられる」という意味で、「興奮する」とは「かきまわす」という意味があります。この言葉は新共同訳では主イエスが、人間を死に追いやる運命的な無情な力、残酷な死の力に対して、激しく憤られたことを表そうとしています。

 主イエスは死に飲み込まれて消えて行く人間の弱さと悲しみに対して、共に泣くほどに、同情、共観を抱き、そして人間を滅ぼす死の力に対して激しく憤り、激しく戦って、死が奪い取ったラザロを、死に打ち勝つ~の力をもって取り返し、取り戻そうとしておられるのです。そして死の眠りについたラザロに、目を覚まして帰って来いと「ラザロよ出て来なさい」(43)と語りかけ、墓の外へ、生命の世界へと呼び出されたのです。主イエスは、ラザロの死を悼むマリアに対して、「あなたの兄弟は復活する」(23)と言われ、マルタが「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」(25)と答えますと、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と宣言されました。ユダヤ人は皆、終末にすべての人がよみがえって、最後の審判を受けることを信じていました。それに対してイエスは、復活は遠い将来のことではなく、今のことだと言われているのです。イエス・キリストがこの地上に来て、天と地をつなぎ、~の力で死を打ち砕いて復活されました。そしてその永遠の命を、人間一人一人に与えてくださいます。ですから主イエスと結びつくとき、わたしたちは今、死によっても砕かれることのない、永遠の生命、復活の命をいただくのです。ですから主イエスは「わたしは復活であり、命である」と語られたのです。ラザロの復活はその証しであるということです。

 復活して今も生きておられるイエス・キリストが聖霊によってわたしたちと結びつき、わたしたちと一体になってくださるとき、そしてわたしたちが、このイエスを信じて救い主として迎える時に、悲痛な現実の中でも砕かれない生命の力をもって生きることができるというこのラザロの物語を、現在の自分たちの物語として描こうとしたのが、ドストエフスキーであります。ドストエフスキーの「罪と罰」です。わたしが十六歳の時に初めて読んだ外国の文学です。この作品は人間復活の物語なのです。

 才能豊かな大学生のラスコーリニコフは、貧しくて学業を続けることが困難になります。ラスコーリニコフはナポレオンが天才であるために、どんなに多くの人を戦死させ犠牲にしても、裁かれるどころか英雄と崇められるのだと考えます。そして、自分のような有意の青年が成功するためには、社会で有害無為な金貸しの老婆を殺して金を奪ってもよいのだという理屈をつけて殺人を働き、罪のないその妹までも巻き添えにします。罪を犯してしまってから後に、思いもよらず良心に苛まれて、悶々とした日を過ごすことになります。

 ところが、ふとしたことで知り合ったソーニアという女性は、貧しい家族のために身を落として売春婦になっているのに、接してみると、心清らかで、真実の愛を宿して生きています。どうしてあのような生き方ができるのか、不思議で仕方がありません。そのうちにふと、これは彼女の信仰と関係があるのではないかと思い当たり、ある夜彼女を訪ねて、ラザロの復活の物語を読んでくれるように頼みます。彼女がおどおどと読むその言葉から、彼女は、人間がたとい奈落の底に沈んだとしても、キリストの愛と命を受けて、今生まれたみどり児のように生きることができるということを実感しているということがわかるのです。そしてこのソーニアに教えられ慰められながら、ラスコーリニコフは警察に出頭して罪を告白し、シベリアに送られて新生の道を歩み始めます。「罪と罰」は、ラザロの復活の小説化であるのです。

 ゴッホの描いた「ラザロの復活」では、墓の入口でマルタが、死の眠りから覚めたラザロに向かって、驚いて両手を拡げています。その背後に太陽が輝いてこの墓を照らしています。ゴッホは死から復活して、死者を目ざませるキリストを太陽として描いています。わたしたちもこの主イエス・キリストの復活の光に照らされて、与えられた命を生きて行くのです。

 お祈りいたします。

 神さま。わたしたちの命が「死をもって終わる」と運命のように思い定めておりますわたしたちに、主イエスの復活を実現して、永遠の命に生きる希望を与えてくださいました。この復活の信仰をわたしたちがしっかりと持つことが出来ますように、あなたの御言葉を学んで自分たちの復活信仰をいっそう堅くすることができますように、主よお導きください。

 わたしたちの主イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。 アーメン

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「~の愛の働きが見える」ヨハネ9:13-25
2023.3.19 大宮 陸孝 牧師
 「ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです」(ヨハネによる福音書9:25)
 先週の福音書の日課はヨハネ福音書の4章のサマリアの婦人とイエスの物語でありましたが、本日の日課九章を読みますと先週の日課と似ているところがあります。先週はサマリアの人たちが蔑視され、差別されている旧約聖書の歴史的な背景を見ました。この九章の物語では、イエスご自身の時代とヨハネの時代(紀元一世紀前後)の問題とが二重写しになっていることを念頭に置いて読みますとこの箇所の中心的なメッセージは何かが見えて来ます。

 8節から12節を見ますと、ここでは盲人のいやしを見た人々のことが書いてありますが、注意すべきことは共観福音書のように奇跡を見た人々が驚いたとか、~をたたえたとかいう人々の反応が全く書かれておりません。ヨハネではこの物語は、目(特に心の目)が開かれたという事実とこの事実を証しすることに重点がおかれているからです。ここで人々はこの目が見えるようになった人物が以前物乞いをしていた盲人と同一人物であるか、もしそうであるならばどのようにして見えるようになったのか、この奇跡を行った人はどこにいるのかを問います。その問いに対して目を開かれた盲人は、自分は物乞いをしていた盲人と同一人物であることと、その癒しの方法を伝え、目を開けた人がどこにいるのかについてはわたしは知らないと言っています。

 そしてもうひとつのこととして、17節を見ますと、「そこで人々は盲人であった人に再び言った。『目を開けてくれたということだが、一体、お前はその人をどう思うのか。』彼は『あの方は預言者です』と言った。」見えないあなたを見えるようにしてくれたのは誰かという問いに、この人は、主イエス・キリストを「その方は預言者です」といったのです。これは主イエスを救い主として信仰告白する歩みの第一歩を踏み出したということです。

 そして18節から「それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようになったということを信じなかった」とあります。目の前に、イエス・キリストに光を与えられた人がいても信じようとしない「ユダヤ人たち」。「ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、尋ねます。『この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったと言うのか。それが、どうして今は見えるのか』」(19節)と記されています。本当は見えたのではないか、生まれつき見えなかったのではなかったのではないか、とユダヤ人たちが聞いたら、20〜21節で 「両親は答えて言った。『これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。誰が目を開けてくれたのかも、わたしどもは分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう』」と書いてあります。ここまでは単純なひとつの出来事を筋を通して語っているというだけのことです。ところが、それに続いて、22節から23節に非常に不思議な言葉が出て参ります。「両親がこう言ったのは、ユダヤ人を恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたからである。両親が『もう大人ですから、本人にお聞きください』と言ったのは、そのためである」と書いてあります。

 両親が何故恐れたかと言いますと、既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたからなのです。ここにはユダヤ人である両親がユダヤ人たちを恐れたという、ヨハネ独特の主題が出て来ます。これが本日の福音書日課の中心的なことになります。この両親を呼び出して尋問したファリサイ人たちとは、イエスをキリストと告白するならば、会堂から追放する、破門する、と既に決めていたユダヤ人たちと同一の人々ということです。

 当時は一つの地域社会の中で、信仰のもとで結ばれている共同体で生活しているときに、そこから追放されるということは、生計を立てていくことが出来なくなると言う意味でもありました。一つの地域社会から追放されるということは、死を意味するか、あるいは法的な身分の保障を受けられなくなるという問題でした。これはユダヤ人社会だけではなく、当時はどこの民族、国家においても、およそそのような状況下にありました。ここではイエスを「わたしの救い主である」と告白すると、会堂から破門追放されるという徹底した処罰を受けることが既に決められていたのです。

 最初に申し上げましたヨハネの時代の問題が二重写しになっているのはこの問題です。紀元70年に、ローマによってエルサレムが陥落して、神殿が崩壊します。それまではユダヤ人社会に存在した宗教的な政治諸党派は、それぞれ大きな違いがあり、温度差もあったのです。復活を信じるファリサイ派の人々、復活を信じないサドカイ派の人々、その間にクムラン・エッセネ派の人たちもいます。政治的にはテロリスト集団や過激派(シカリ党や熱心党)から、当時のローマ体制と協調して行こうとする保守的な立場の人もおりました。宗教的にも政治的にも、右から左まで存在したのです。しかしそれがゆるやかな連合体として、一つのユダヤ教としてのまとまりを持っていたのです。死海のほとりで発見されたクムラン教団を除いては、エルサレム神殿での宗教的な祭儀によって、ゆるやかに一つに連合していたのです。地中海の全領域に離散していたディアスポラのユダヤ人たちは、一生に一度はエルサレムの神殿に訪問したいという願いを持っていたのです。それは神殿でのユダヤ教の祭儀が、ユダヤ民族の統合の一つの基盤になっていたということです。ところが紀元66年から70年に至る独立戦争で、ユダヤ民族は国家を失います。

 そして、ユダヤ人社会のエルサレムのサンヘドリン(最高会議)は、神殿とともに戦争で失われましたけれども、ヤムニアという小さな村に移され、事実上エルサレムのサンヘドリンが再興されます。そしてこのヤムニアに移されたサンヘドリンから発せられる律法解釈が正当な律法解釈であるとみなすファリサイ的ユダヤ教が今日のユダヤ教の新たな基礎を築いて行くことになるのです。そうした歴史の流れの中で、ユダヤ人社会の中で新に発生したキリスト教が、紀元70年以降のユダヤ教と同じか違うかという問題がユダヤ人社会に生じたのです。つまり正当と異端の問題が生じて、キリスト教は異端とみなされ、シナゴーグの中から、ユダヤ教の正統な信仰を持っていないと怪しまれた人たちが次々と排除されていくことになったのです。(これは宗教改革者ルターの破門の問題と同じです)

 主イエスとユダヤ人たちが対話しているその時代のイエスに対する迫害については、四福音書が記録しています。イエスの弟子たちの迫害については使徒言行録などがよく伝えているところです。そのような紀元70年以前の主イエスの時代の迫害の事実と、紀元70年以降の新しく発生したばかりのキリスト教会を取り巻く歴史的な環境のもとでの迫害が、本日のヨハネ福音書9章18節から25節に重ねられて記録されているということになります。ヨハネ福音書記者は、自分たちが置かれている現実と、主イエスの時代とを同時に重ね合わせて書いているということです。ヨハネ福音書の少し先を読みますと、16章2節に「人々はあなた方を会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は~に奉仕していると考える時が来る」と記されています。これは聖書を書き残した人たちの時代の、ユダヤ教対キリスト教の間の対立について告げているのです。キリスト教に対する迫害です。イエスをキリストと告白する者がいれば、会堂から追放してユダヤ教共同体から排除してしまうという歴史を反映しているのです。つまり、主イエス・キリストに従う人々は、主イエスが十字架に付けられたように、命を失う危険に直面していたということです。しかし、そのような状況の中にあっても、あのナザレ出身のイエスこそ、十字架に付けられたイエスこそ、~のご意志を顕す~の子であった、あの方の内に~が働いておられたのだ、と信じる人たちが少しずつ増え、堅い信仰を持つようになって行ったということを証言しているのです。

 自分たちの宗教が世俗化していくことに歯止めをかけようとして、原理主義の立場に立つという点ではキリスト教も同じであります。そのような世俗化運動がキリスト教の内部でも起こる時に、わたしたち教会に連なる者はどう考えて行くか、どうしたらよいのかということがわたしたちの考えなければならない問題です。今日のキリスト教会が担う、この世の課題の内容は何かということです。キリスト教会が世間の諸活動と同じことをすることは必要ありません。教会しか出来ないことをすることが大切です。ヨハネ福音書を書いた記者たちとその弟子たちは、そういった戦いの中で、迫害する外敵とどのように戦ったのか。パレスティナ地方からエーゲ海方面まで移動して行ったのです。単に逃げていったのではありません。そうした経緯のなかで、抑圧されていた他の民族の人たちをも加えながら、力強い教会形成をして行ったのです。もっと具体的にいうと、エルサレムから離れ、イエスを主と信じる礼拝をしていったということです。そういった信仰の共同体をしっかりと形成していったのです。

 今日わたしたちがそのような宣教活動をして行くことを教会の目的にしなかったならば、わたしたちの教会は歴史の中で埋没し、消えてしまうだろうと思います。今日においても、あのナザレのイエスこそ、~の子、わたしたちの救い主であるという信仰告白がきちんと告白される信仰の共同体が形成されなければならないのです。

 教会が社会運動の拠点になったり、あるいはヒューマニズム運動や政治運動に利用されたり、あるいは国家権力と癒着したり、あるいは時代精神に迎合するとき、教会独自の存立の意味を失います。キリスト教が力が無くなるのは、そういう時です。力を持つのは時代精神に迎合しないでしっかりと信仰告白に立つ時なのです。それで、この信仰告白に立つ時に何が見えて来るのかと言いますと、わたしたちの命は、この世のどのような状況の中にあろうとも、永遠の~の恵みと愛の御手の中にあるという福音の事実が見えて来るのです。

 繰り返しますけれども、ナザレのイエスはわたしの救い主、わたしの主であると告白することによって、わたしたち信仰者は、あらゆるこの世の思想的な束縛や、あらゆる習慣とか伝統や文化の絶対化から解放され、あらゆる絶対的な権威を家庭や学校や職場や民族国家間で行使しようとする者の欺瞞性を見抜くことができるのです。福音の力というのは、そういうことなのです。ヨハネ福音書記者たちとそれを支えた教会員はその後に独立して行きます。

 このような福音のできごとを先ず、主イエス・キリストご自身が、わたしたちに示しておられます。主イエスご自身のうちに働く~の計らい、神の恵みの業、~の指、わたしたちの歴史の中に働く~を、主イエスご自身が、わたしたちに分かる形で示されたのです。生まれつき見えなかった目を、心の目を、主イエスに見えるようにされた人物は、そのことが見えるようになったということなのです。

 お祈りいたします。

 恵み深い父なる神さま。あなたがわたしたちのもとに救い主を送り、わたしたちの救いのために必要なすべてのことをしてくださり、それを恵みとしてわたしたちに注いでくださいます。わたしたちがあなたの恵みの業を信頼と感謝をもって受けとめることができるまで、イエスに従い続けて行くことができますように、そういう信仰の人とならせてくださいますようにお願いいたします。

 イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。  アーメン。

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「イエスの愛はわたしの内で泉となる」ヨハネ4:5-26
2023.3.12 大宮 陸孝 牧師
 「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネによる福音書4:14)
 本日の福音書の日課 ヨハネ福音書の4章はイエスとサマリアの女の出会いの物語であります。主イエスは祭りに加わるために上京しておられたユダヤから、御自分の伝道の拠点である郷里のガリラヤへ帰ろうとされていました。南にユダヤ、北にガリラヤがあり、その中間にサマリアがあります。イエスはユダヤからサマリヤを通過してガリラヤに帰ろうとされ、シカルというサマリヤの町に寄られました。時は「正午ごろ」で、朝から旅を続けておられた主イエスは「旅に疲れて」井戸の傍らに腰をおろされました。

 主イエスが疲れて休んでおられるところに、一人の「サマリヤの女」が水を汲みに来ました。町の井戸は、毎朝毎夕、大勢の女たちが水を汲みにやってきて、賑やかに井戸端会議が行われていました。しかし昼になると、みんな家に帰って食事の支度にとりかかります。そのような人のいなくなる時を見計らって水を汲みに来るというのは、他の人とのつきあいを避けている人間であることを暗示しています。人に触れられたくない人生を歩んできている人であることを物語っています。イエスとの対話の中でそのことが次第に明らかになって行きます。

 16節〜18節に、サマリヤの女の私的な背景が記されています。「五人の夫」という言い方をされていますが、これは列王記下をはじめ旧約聖書に出て参りますサマリア人のことで、彼らが当時のエルサレムを中心とするユダヤ人社会と違って偶像崇拝をした人々であるといわれています、紀元前八世紀に遡る歴史と関係しています。偶像礼拝をした五つの民族の者を象徴化していると解釈されます。このサマリヤ人は当時のイエスの時代に至るまで、およそ700〜800年間、クト人というレッテルを貼られ続けて来た人々のことです。ユダヤ人社会が北と南の二つ、北王国イスラエルと南王国ユダに分裂いたします。各々独立して統一王国が二つになったのです。そのうちの北王国イスラエルが紀元前722年にアッスリアによって滅亡させられました。、その時のアッスリアの異民族支配の仕方は、強制的な民族移住をさせましたので、他民族が北イスラエルに住むようになりました。そして住民のすべてが入れ替わったわけではありませんから、そこで多民族が混合して一つの町に住むことになったのです。その時に異教の民族が入り込んで来たことによって、伝統的なユダヤ教のユダヤ人と称する南のユダ王国の人たちは、サマリア人をユダヤ民族の一員とは見なくなり、蔑視、差別をするようになります。

 旧約聖書と並んでユダヤ教の重要な文書であるタルムードの中のミシュナには、サマリア人はアッスリア帝国の一部族であると規定されています。それと関係した旧約聖書から一箇所だけ引用します。列王記下17章28節から31節(旧約608頁)「こうして、サマリアから連れ去られた祭司が一人戻って来てベテルに住み、どのように主を畏れ敬わなければならないかを教えた。しかし、諸国の民はそれぞれ自分の~を造り、サマリア人の築いた聖なる高台の家に安置した。諸国の民はそれぞれ自分たちの住む町でそのように行った。バビロンの人々はスコト・ベノトの~を造り、クトの人々は(これが今問題になっているサマリア系の人のことです。)ネレガルの神を造り、ハマトの人々はアシマの~を造り、アワ人はニブハズとタルタクの神を造り、セファルワイム人は子どもを火に投じて、セファルワイムの神々アドラメレクとアナメレクにささげた」。まだ人身御供が行われていた時代の、アッスリアの神々です。これでおわかりのように、アッシリアのサマリアに移住してきたいくつかの民族、とりわけここに登場して来ます五つ民族は、異教の神々を拝んでいたのです。列王記下の所を続けて読みます。「彼らは主を畏れ敬ったが、自分たちの中から聖なる高台の祭司たちを立て、その祭司たちが聖なる高台の家で彼らのために勤めを果たした。このように彼らは主を畏れ敬うとともに、移される前にいた国々の風習に従って自分たちの神々にも仕えた」(32〜33節)ここが問題だったのです。

 続けて34節を読みます。「彼らは今日に至るまで、以前からの風習に従って行い、主を畏れ敬うことなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない」(34節)。ですから紀元前722年以来ずーっと、イエスが出会ったサマリアの土地の人たちは、イエスの時代に至るまで、ユダヤ教のユダヤ人が大事にしているヤハウエの~を信じる信仰が問われているのです。主は、彼らと契約し、こう戒められた。他の神々を恐れ敬ってはならない、これに平服することも、仕えることも、いけにえをささげることもあってはならない。人身御供をしてもいけないこのように戒めているのです。そしてイエスの出会ったサマリアの婦人は、6人目の夫の事が問題とされるのです。6人目の夫ということで象徴されているのは、イエスの時代のサマリア人の~ターヘブで、彼らはその~をゲリジム山で拝んでいました。それをユダヤ教のユダヤ人たちは、「あれは偶像礼拝だ」、「異教の神々の系譜そのものだ」という批判をしていたという歴史が背景にあったのです。ですから蔑視をされ、差別をうけていたのです。主イエスは、そういった他民族の、他の宗教を蔑視したり、差別したりするというのは信仰の本質に外れているということをこれから示そうとしているのです。

 本日の主イエスのことばには驚くべきことが語られています。25節と26節です。

 「女が言った。『わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます』イエスは言われた。『それは、あなたと話をしているこのわたしである』」という対話です。これは、驚くべき内容を持っている告知なのです。

 出エジプトの出来事の時にモーセに率いられて、紀元前1250年前後に、エジプトで奴隷状態になって、独立も宗教も認められない弾圧下にあったイスラエル民族が、パレスチナに向けて民族の大移動をします。モーセはイスラエルの民を導き出す使命を~から与えられるのですが、その時に~の声を燃える柴の中から聞きます。モーセはその声に向かって「あなたは誰ですか」と問いますと、~がモーセに「わたしはある」「わたしは〈ある〉というものだ」と答えられたと記されています。これは~の名であるヤハウエの本来の意味で、「わたしは在って在る者」という者が実は天地創造の~であり、そして絶対者である~を言い表す言葉であったということです。主イエスがサマリアの女に対して「それは、あなたと話しているこのわたしである」と言われました。「あなたはどなたですか」とサマリアの婦人が言ったのに対して、イエスは「わたしがそれです」と答えたのです。その前に「メシア(救い主)が来ることを私は知っています」とサマリアの婦人は言っているのです。その時に「わたしがそのメシアです」とは、イエスは言わないのです。何故でしょうか、それは、この時代には自称メシアが沢山いたという事情が背景にあります。

 地中海世界にはおびただしい数のメシアがいました。イエスはそのようなメシアとは異なる存在を示す言葉で、「わたしが在ってある者だ」というふうに言われたのです。これが驚くべき表現であると先に申し上げました、イエスをメシアと信じるキリスト教の開始、別のことばで言うならば、「わたしは在ってある者だ」とイエスが言われたそのイエスを、~の子と信じた人々は、ユダヤ教のユダヤ人社会だけではなく、ユダヤ人社会を超えた地中海世界で、~を冒涜する者と見なされた人々だったということです。つまり、イエスと出会った人々は、イエスを十字架に追いやった、政治的にも宗教的にも民衆を支配している勢力に付くのか、あるいは地上を歩む~としてのイエスを、在ってある者、この方をこそ在って在る者だと告白するか、という二者択一の問いの前に、立たされることになったのです。このサマリアの婦人は、まさにそういう問いの前に立つ婦人であったという場面なのです。

 この婦人の「あなたは誰ですか」という問いに対して、「あなたと話しているこのわたしが、かつてあり、今もあり、未来にもある、存在の存在ですよ。それがわたしイエスにほかならないのです」と言ったのです。そして同時に、主イエスに従った初期キリスト教会を構成する人たちはこの言葉によって、イエスの内に地上を歩む~の姿を見たのです。これが本日の福音書日課が告げていることです。

 つまりこれは、この地上の歴史の歩みの中でわたしたちが出会うことのできる御子なる~、イエス・キリストについて語られている言葉であり、そして、その~の人格的な働き真理の御霊、聖霊の働きとして、初代教会以来のその後の歴史の中で、終わりの時に至るまで、わたしたちを導く霊なる存在として、聖霊としての~について語られている御言葉なのです。

 イエスが~としてわたしたちの世界に来られることによって、~は見えない力としてではなく、見える生きた姿で「あなたと話しているこのわたしである」と、人格的に出会ってくださったのです。そして復活されたキリストが「わたしたちの内にいますキリスト」という形で、共にいてくださり、「あなたと話しているわたしがここにいるよ」といってくださっているのです。

 わたしたちは、礼拝において、~の御言葉を聞くことによって、わたしたちの内にキリストを迎え、キリストの命と愛を注がれます。そしてそれがわたしたちの内から外へと流れ出します。こうして、~の救いの御業は、主イエスを通してユダヤにとどまらず、対立していたサマリアにも伝えられ、~の民は国境を超えて広がって行きました。エルサレムとかゲリジム山とかに限らず、宣教によって主イエスの伝えられるところ、礼拝が捧げられるところで、わたしたちは「命の水」を与えられるのです。

 お祈りいたします。

 父なる神さま。あなたはわたしたちの罪の現実の只中にイエスをメシアとして送ってくださり、人間の偏見、蔑視、差別の只中をイエスは通られて、それを超える全世界の救いを愛をもって達成してくださいました。あなたの真実の恵みの御業に答えてまことの礼拝を捧げ、全力を尽くしてあなたの栄光を表す信仰の歩みをしていくことができますように導いてください。 

 主イエス・キリストの御名を通してお祈りいたします。 アーメン。

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「さあ、新しく生きよう」ヨハネ3:1-12
2023.3.5 大宮 陸孝 牧師
 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(ヨハネによる福音書3:5)
 使徒言行録によりますと、ごく少数のキリスト者が集まり祈っている時、神の聖霊が与えられ、人々は新しく教会を生み出して行ったと伝えられています。人の思いや努力や計画などと共に、それを超えて、神の聖霊の働きによってこそ、教会が誕生したことが告げられています。教会の誕生に至るまで、ユダヤの民族は、千五百年にも渡って神を信じ、歴史の中を生きて来ました。人々は厳格に律法の教えを守り、伝統を重んじ、何よりも自分たちは神によって選ばれた民であることを誇りに生きていました。この「選民意識」を、ユダヤ人だけでなく、日本人も持っていた歴史があります。また、多くの民族にもその傾向が見られます。そのような「選民意識」は、自分たちの民族の尊厳と誇りを持つ一つの表れではあるのでしょうけれども、同時に、その意識は特権意識を生み、自分たちと違う者を排除し受け入れないという排他的な生き方を生みやすいということでもあります。イエスの時代に生きていた多くのユダヤ人は、その意味で、イエスが示した~の愛、新しい命に触れても、今までの律法学者や伝統から自由になれないで、イエスの語りかけと生き方を受け入れることができませんでした。むしろ「選ばれた民」としての正当性を主張し、律法を基準に、それに合わない者を排除し、排他的になっていきました。

 しかしそういう人々の中で、少数の人々、貧しく、この世的には地位も力も持たない弱い人々、社会の不公正と悪によって弱くされた人々によって革新的なことが引き起こされていきました。始めは、当時のユダヤの女性たちによってでした。彼女たちは、イエスが十字架で殺され、すべてが敗北に終わったと見える墓の前で失意の中にいた時、「イエスは甦りの命を与えられ、生きておられる」という福音を与えられました。その福音は、受け入れがたいものでした。けれども彼女たちは、神から与えられる生命によって突き動かされ、立ち上がりました。そして今も生きて共にいてくださるイエスを受け入れ、宣べ伝え始めました。

 その後、人々が集まり祈っている時、神の聖霊が与えられ「教会」が地上に誕生したと語られています。イエスを十字架につけたローマの世界の中において、教会に連なる人々は一握りにも満たない小さな群れでした。しかしその一人一人の歩みが神さまに用いられて行きました。そして小さな群れを生かす~の愛は、次第に、多様な文化の殻を突き破り、静かに、力強く拡がって行ったのです。

 マタイ福音書24章が語っていますように、当時の社会的状況を垣間見ても、人々はローマの支配のもとで、さまざまな暴力や人間の尊厳が奪われるような状況の中で苦しみ、互いの間に「対立」や「敵対」また争いが絶えなかったと思われます。また人々の間に裏切りと憎しみがあふれ、弱い人々が差別され、権威をふりかざす人々に苦しめられていました。このことはまさに現代の状況に似ていると思います。そのような状況の中で教会に集う人々も、目を覚ましていないと、この世のあり方に迎合し、神への信頼と希望を失ってしまうと言われています。そして、マタイ24章13節では「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と主イエスは語っておられます。ただ単にじっと殻の中に閉じこもって耐え忍ぶのではなく、神の愛に止まり続ける、どんなことがあっても神を信頼し、主イエスと共に生きていこうと語りかけています。自分の悩みや重荷につぶされそうになっても、決してあきらめない。愚直なまでに~の愛を信じて生きて行こうと語りかけるのです。この語りかけは現代に生きるわたしたちへの語りかけとして心に迫って来るものがあります。

 聖霊による再生の出来事はこのようにして、二千年の歴史を超え、民族や国を超え、日本の各地にも教会が形づくられ、わたしたちのそれぞれの教会にも引き起こされている事実です。今も、神は生命の息吹を教会に注ぎ、わたしたちを~の愛に生かしてくださっています。組織としてみれば、実に力なく弱く、過ちを繰り返すわたしたちの教会です。少数者の群れです。そこに連なるわたしたちも、弱く小さな者でしかありません。けれども、その小さく弱さを持つ教会、わたしたち一人一人の中に、神によって生命が与えられ生かしていただいて、多様な教会が、それぞれの地域に誕生していったことは、本当に不思議なことです。この教会がこの地に誕生するまでには、多くの信仰の先達者達が祈り、努力し、その人々を突き動かす神の聖霊の働きがあったと思わざるをえません。

 また教会に様々な重荷や悩み苦しみを抱える人が導かれ、教会に連なってきました。その一人一人が、神の息吹を与えられ、新しく生きようとする力を与えられて来ました。一人一人は小さく弱く、力ない人々です。けれども、その一人一人がイエスに繋がって歩もうとし、神を信じて困難を乗り越え、「さあ、新しく生きよう」という生命と力を与えられて活かされて来ました。

 本日の聖書の中に、そのような人として「ニコデモ」という人が登場します。暗い夜にそっとイエスのもとに来たニコデモという人とイエスとの対話の物語が語られています。「夜」という言葉は、ヨハネ福音書では、暗闇とか不安の現実を象徴的に示す言葉です。ニコデモは、ユダヤ教ファリサイ派の指導者の一人でした。しかし彼が、「夜」密かにイエスのもとに来たというのは、彼が暗い思いを持ち、悩みや不安に心塞がれ、新しく生きる道を失っていることを示しています。彼がこれまでに努力し手に入れてきた地位や財産、知識や経験などは、彼の支えや救いにならなかったということでしょうか。

 この物語を見ますと、主イエスはニコデモに向かって「人が新しく生きるためには、水と霊によって新しく生まれ変わらなければならない」と語りかけます。「水」というのは、「洗礼」を示していると思われます。神を信じて新た信仰に生きる出発点というべきものです。「洗礼」は、人生が救われて新しく生きる「しるし」として、全くの無条件の恵みとして与えられます。主イエスが示す神とその愛を信じ、自分の人生を自分の力で生きて行こうという志を取り除かれて、まったくの無条件の~の愛として洗礼を与えられます。その洗礼はこれを知らなければ、これだけの条件を整えなければ、資格を獲得するためにこれだけの努力をしなければなど一切の条件や功績や資格あるいは知識を超えた、神による無償の恵みです。新しく人生を歩み出したい。喜びの時も悲しみの時も、感謝の時も不安と悩みの時も、どのような時にも神はこのような自分を受け入れ、あるがままの「わたし」を愛していてくださる。その神を信じ、主イエスと共にまた主イエスの歩んだ道に繋がって歩んでいきたい。その思いを与えられた人は、この無償の恵みとしての洗礼を受ける祝福に招かれているのです。

 その出来事を与えてくださるのが、~の霊の働きというより他にありません。「水」と共に「霊」と言われるのは、新しく生きて行きたいと求める人に働きかける神の霊の力のことです。また8節を見ますと「風は思いのままに吹く」とあります。この「風」という言葉もまた、神の働きとしての聖霊を示しています。様々な問題や課題を抱えて疲れ果て、人生に希望を見いだせなくなっている人が、「さあ、新しく生きて行こう」という思いを与えられるのは、まさに聖霊の働きによると主イエスは語っておられるのです。

 「風は思いのままに吹く」という主イエスの語りかけを思い巡らしていて、フランスの詩人ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』に出て来る一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」という詩を思い起こします。多くの人が心打たれてきた詩です。詩の中に、生きることに疲れ果てた人が出てきます。作者自身かも知れません。その人は、何の希望もなく寂しさと苦しみの日々を過ごしています。その日常の中で、ふっと、どこからか吹いてきた風を感じ、「新しく生きて行こう」という「生きることへの衝動」を感じさせられます。この魂を突き動かす生への衝動がこの短い言葉の中に凝縮されています。神は行き悩むわたしたち一人一人にいのちの息吹を吹きかけてくださっているのです。

 わたしたちの身近にも、また知らない所でも、さまざまな思い悩みを抱えながらも、「今」という時を受けとめ、神さまに「再生への胎動」を与えられて生きようとしている人がいると思います。時には必死に何かを求めながら、その場で立ち上がり、「新しく生きよう」とする人がいると思います。

 ニコデモの場合はどうであったのでしょうか。彼はファリサイ派の指導者です。恐らく彼は、豊かな知性と知識を持ち、一定の地位と立場を持っていたと思われます。物語によりますと、その彼が、「夜」そっとイエスのもとに来たのです。彼は外から見ますと恵まれた状況の中で生き、与えられた能力や経験を持って表舞台に生きていた人です。しかしその陰で、満たされない乾きを持ち、「何か」を求めていました。現代はさらに、「何かを求めてさ迷う」人であふれているのではないでしょうか。一見、何不自由なく、恵まれた生活をしているように見えながら、疎外された中で「愛をなくして」いる人がいます。「何かを求めて」いる人がいます。また人知れず孤独を抱え、辛いことに打ちのめされ、深い寂しさや悲しみの涙を流している人がいます。

 そこで主イエスは、彼に向かって「よくよくあなたに言っておく、誰でも新しく生まれなければ~の国を見ることができない」と語りかけます。新しく生きる者になりなさい。と言われたのです。主イエスはわたしたちに対しても、このように語りかけておられます。「あなたはいろいろと思い煩い、様々なことに思い悩んでいる。しかし、今あなたに必要なことは、過去に縛られないで『今』を生きることだ。精一杯に自分のできることをしたら、後は~に委ねなさい。委ねることができるのだ。後ろのものを忘れ、前に向かって新しく生きていきなさい。さあ、一緒に生きて行こう」と。そして、「水と霊から生まれること」、洗礼の恵みと~の聖霊の働きが必ずあることを語っておられるのです。

 わたしたちは、確かに厳しい問題に直面し、背負いきれない悩みや重荷につぶされそうになることがあります。不条理なことに打ちのめされることもあります。そのような時、挫折や諦め、また虚しさを突き抜けて、「さあ、新しく生きていこう」という主イエスによる促しの声を与えられるのです。

 すべてのものをお造りになった創造主なる~、あなたを造り、生かしたもう~が、人のちっぽけな思いを超えて、わたしたちに「さあ、新しく生きていこう」と聖霊の働きを送っていてくださるのです。その働きを全身で受けとめて、様々な問題に満ちた社会の現実の中で、それらの問題に向き合い、戦っているわたしたち一人一人に「さあ、新しく生きて行こう」と語りかけてくださる主イエスと共に生きて行こうと思います。

 お祈りをいたします。

 天の父なる神さま。

 本日新たにあなたの御子イエスの十字架の救いの御恵みをお示し頂いて、心より感謝申し上げます。わたしたち、孤独の中で人生をどのように歩んで行くかおじ惑うようなその時に、わたしたちの罪の重荷を引き受けて、ただ一人、孤独に耐え、わたしたちのいかんともしがたい罪に破れた姿を贖いだし、恵みの御手の中に受けとめてくださっていますことを感謝申し上げます。この主の恵みが新たにわたしたちの心に溢れて、わたしたちが新たにされ、望みを抱き、勇気を与えられ、主イエスがお示しくださいました、この世に仕えながら新しく生きる道を、わたしたちが辿ることができますように、どうぞ、今週の信仰の歩みをその様に生きることが出来る命の力を与えてください。
主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。     アーメン


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