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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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2023年 牧師メッセージpastor'S message


  

「若い日にあなたの創造主を覚えよ」
 
                      
大宮 陸孝 牧師    

 
 「朝種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれかそれとも両方なのか、わからないのだから。光は快く、太陽を見るのは楽しい。長生きし、喜びに満ちているときにも、暗い日々も多くあろうことを忘れないように。・・・若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。・・・知っておくがよい、神はそれらすべてについて、お前を裁きの座に連れて行かれると。心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。・・・青春の日々こそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。『年を重ねることに喜びはない』と言う年齢にならないうちに。」
     旧約聖書コヘレト11章6節~12章2節

 受験のシーズンを迎え、大勢の若者を見かけます。彼らが喜びの春を迎えることが出来ますように祈ります。昔「大学受験ラジオ講座」を聞いていました時に、単純なメロディーが三回オープニングテーマ曲として流れるのが印象深く心に残っています。この曲は、ヨハネス・ブラームス作曲の大学祝典序曲の最後4番目に出てくる曲で、今では、日本でも大学のオーケストラでよく演奏されているようです。ユニバーシアード(国際大学スポーツ連盟)が主催する総合競技大会では、開閉会式、と各競技の表彰式で、勝者を讃える歌として、この曲が演奏されます。

 この曲は1267年にボローニャの司教ストラーダによって作曲され、ヨーロッパ各国に伝わる伝統的な学生歌となりました。歌詞はラテン語で、歌い出しが"ガウデアームス・イギトゥル"でこれが歌の題名にもなっています。「だから愉快にやろうじゃないか」と訳されます。歌詞は10節まである長いものですので、ヨーロッパの各大学では卒業式などには、この中の1~2節を選んで、壇上の卒業生だけではなく、フロアーの家族も、OBもOGも老いも若きも全員で総立ちになって合唱するのです。

 邦訳の歌詞を2、3節紹介しましょう。

1.諸君、大いに楽しもうではないか。
  私たちが若いうちに
  素晴らしい青春が過ぎた後、
  苦難に満ちた老後の過ぎた後、
  私たちはこの大地に帰するのだから

2.私たちの人生は短い。
  短くて限られている。
  死はすぐにでも訪れる。
  残酷にも、私たちはこの世から去らねばならない。
  誰も逃れられない。

3.先に生きていた人たちは
  いったいどこへ去ったというのか?
  天国へ
  あるいは深淵へ、彼らに会うならば行かねばならない。

 この歌の背景には上記に引用した旧約聖書コヘレトの言葉があるようです。この歌は手放しで青春を謳歌する人間の自己栄化の歌ではないのです。人生を歩み出す若きエリートたちに先ず覚えてほしい。青春から老年のたそがれまで、万人が辿る人生を創造主はずっと恵みの御手の中に包んでいてくださる。その神の恵みの御手に導かれて信仰の道を歩むことこそが命を生きることなのだよ、と語りかけて来るようです。

                      2023年2月1日

 
         
「神の愛を心に宿して」
 
                      
大宮 陸孝 牧師    

 
 「神の国は何に似ているか。何にたとえようか。それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」                    ルカによる福音書13章18節~19節

あけましておめでとうございます。

 新しい年の生活が始まりました。この時、私たちがまず心を向けなくてはならないのは、この世のことではなく、私たち一人一人の内なる心の動きであろうと思います。この地上での私たちの歩みは常に不条理に揺れ動いています。この世の不条理というよりも私たち自身が常に迷い続けていて、人生はすべて迷いの中にあり、絶えず矛盾に脅かされ、苦悩し続け、それらと向き合い対峙しながら、やがて、明日に向かって生きて行くために必要な、目には見えない霊の力、命の力が与えられていくということが起こっていくのではないかと思うのです。

 紀元前千二百年といえば、今から三千二百年ほど前のことになりますが、エジプトで奴隷状態にありましたイスラエルの民を解放するために、神はモーセを預言者として立てます。「見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人がかれらを圧迫する有様を見た。今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト記3章9~10節)

 モーセに導かれてエジプトを脱出した民は、エジプト軍に追跡され、海辺に追い詰められ、風前の灯火となった時に、イスラエルの民は非常に怖れて主に向かって叫び、また、モーセに言います。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、なにをするためにエジプトから導き出したのですか」(出エジプト記14章10節~11節)「非常に怖れて」の絶望の声です。夢も希望もありません。やっぱりエジプトに留まっていれば良かった。どうしてこんな所へ連れて来たのか?足がすくんで一歩も前に出られません。

 そして、モーセは民に言います。「怖れてはならない。落ち着いて、今日あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(14章13~14節)つまり、エジプトを脱出し、約束の地パレスティナへ向かう脱出行の旅路、これはみな神様のお仕事なのだ。神様のお約束なのだ、だから神は必ず実現させるだろうという信仰がここにはあります。非常に怖れた人々のつぶやきに関係なく、「おそれてはならない」と言ったことの根拠は神の御力への信頼にあったのです。出エジプトは神に信頼し、すべてをお任せして、神のお言葉に従って行動したから出来たのだというのです。

 この見えない神の約束は必ず成ると信頼して神に従い、この希望に生きること、これは私たちの人生の身近な所でも起こることでもあるのです。モーセがしたように、私たちもあせらず、気落ちせず、神の憐れみと恵みの御手を信じ、信頼し、お任せし、子供たちの成長を待つことが大切であろうと思います。もし、こどもが気落ちするようなことがあったら、慰め、励まし、見えないものへの信頼と希望をもつこと、これが私たち大人が持つべき責任であろうと思います。これは私たちすべての人間にも言えることでしょう。人の心に蒔かれた神の愛の種一粒はやがて神の力によって成長し、多くの実を結ぶのです。

 
                      2023年1月1日


*2022年のバックナンバーはこちらへ。

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