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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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2024年3月礼拝説教


★2024.3.3 「教会は真実の神の祈りの家」ヨハネ2:13-22

「教会は真実の神の祈りの家」ヨハネ2:13-22
2024.3.3 大宮 陸孝 牧師
イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(ヨハネによる福音書2:19)
 地上での主イエスの御生涯の中で、「宮潔め」といわれる出来事は、主イエスの普段とは違う姿が描かれております。主イエスは普段は「敵を愛せよ」と教えられ、柔和な愛の教師として生きられました。そのイエスがここでは神殿の境内で「縄で鞭を作り」犠牲に用いるために売られていた牛や羊を追い出し、献金用の貨幣を両替している商人の台を倒し、お金をまき散らすという、手荒な行動に出ています。

 しかし、主イエスが鞭を振るわれたのは、牛や羊を追い出すためであり、暴力をふるったのではなく、権威ある命令によって商人たちを退去させたということであったと言うことがよく読みますとわかります。しかしこれは主イエスにとってはきわめて珍しい、厳しい行動でありました。

 この「宮潔め」は、ヨハネ以外の福音書では、主イエスの生涯の最後近くで起こったこととして記録されていますが、ヨハネ福音書では彼の公生涯の始めに置かれています。それはこの出来事が「カナの婚礼」の出来事とならんで、主イエスの働きの代表的な出来事であることを示しています。

 ユダヤ教では一年に三回大きな祭り(過越祭、五旬祭、仮庵祭)があって、その祭りの時には人々はユダヤ国内だけではなく、外国からも巡礼の旅をしてエルサレムの神殿の礼拝に集まって来ました。そして礼拝で捧げる献げ物として、牛や羊、貧しい人々は鳩を捧げたのですが、それらの動物を遠くから引いてくることはできなかったので、神殿の中の売り場でそれを買い求めたのです。またローマ帝国の貨幣には皇帝の肖像が鋳られていましたので、これは偶像にあたるとして、神殿の献金としては受け入れられませんでした。しかもユダヤでは自国の通貨を造ることは許されていなかったので、貨幣に肖像のない、隣国ツロの貨幣で献金するように定められていたのです。そのために神殿の中に両替商が店を開いていました。

 そういうことですからこのような店は礼拝をする時の必要から始まったものでありましたけれども、時が経つにつれて、いつしか商人たちの関心が、そこから上がってくる利益に集まり、神殿の祭司たちも、商人に場所を提供することによって大きな収入が入ることに関心を寄せるという状況でありました。

 神殿がしばしば聖なる礼拝の場所から、遊びと商売の場所になることに対して、旧約の預言者たちは鋭い批判をし、警告をして来ました。主イエスもまた預言者たちと同じ心で、礼拝が形式化したり、自己満足のために行われるのでなく、「霊と真理をもって」(四:二四)成されることを強く求められたのです。礼拝は、生ける神に向かってわたしたちの祈りが届けられ、生ける神の臨在に触れるものでなければならないことを主イエスは「宮潔め」の行動を通して教えられたのです。

 イエスの弟子たちは、イエスのこのように激しい姿に接して、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」という言葉を思い起こさせられました。これは詩篇69編10節の言葉であります。この詩人は神殿を神の家として清く保ち、これを世俗的な商売の場としたり、自分が敬虔な人間であることを見せびらかす機会としたりするようなことを、決してゆるさないという、潔癖さをもっていたようであります。それが周囲の人々の反感を買い、身を滅ぼすきっかけになったと嘆いています。主イエスの「宮潔め」も、結果的には当時の宗教家やそれと結託する世俗的な人々の反感を買い、最後には十字架につけられるという、身を滅ぼすもとになりました。そのことを弟子たちは予感したようであります。

 その予感通りに、ユダヤ人たちは主イエスに反発して、あなたは神殿管理の責任者たちが許可している礼拝に必要なものの調達まで、あなたの一存で禁止し、しかも実力行使にまで出るとは、何ごとか。あなたは一体どんな権限を持っているのか。持っているならその証拠を見せてほしいと、詰め寄ったのであります。これに対してイエスは、「この神殿を壊して見よ。三日で建て直してみせる」と答えられました(2:9)。このエルサレムの神殿は、ソロモン王の建てた第一神殿がバビロンの軍隊によって破壊された後、バビロン捕囚から帰還した人々によって建て直された、第二神殿のことですが、主イエスの当時は、紀元前二〇年からヘロデ大王によって大規模な改修工事が行われていました。この工事は紀元七〇年のユダヤ戦争でローマ軍によって徹底的に破壊される直前まで続けられました。ですから主イエスに向かって人々が「この神殿は建てるのに四六年もかかった」(2:20)といっているのは、主イエスの当時、この神殿工事がひとまず完成して、工事中断の状態であったと思われます。それにしても、大勢の人たちが何十年もかけて築き上げた神殿を、主イエスは三日で建て直すと言われたのです。人々がそれを信用できなかったのは当然でありました。

 それに対して21節では「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」と説明されています。主イエスが十字架について、その御体が砕かれた後、「三日目によみがえ」られたその復活の御体こそ、神と人を結び会わせる、まことの神殿だと言っているのです。

 神殿とは地上においての神の臨在の場所であり、神と神の民とが出会う場所であります。ソロモンが神殿建設を完成して、これを神に捧げたときの献堂の祈りの中で、神が昼も夜もこの神殿に目を注ぎ、人がここで捧げる祈りを聞いてくださるようにと願っています(歴代史下6:20 旧約677頁)。

 しかし、神と人間を真に結び合わせるものは、人間が造った神殿ではなく、生けるイエス・キリストであることが、ここに明らかにされたのです。罪人である人間は聖なる神の前に出ることができません。神を見た人間はその潔さに撃たれて死ぬと言われます。この人間の罪をイエス・キリストが引き受けてくださり、十字架で贖罪の死を遂げてくださいました。そして三日目によみがえって、御自分の潔き体で人間に結びつき、御自分と父なる神との深い交わりの中にわたしたちを迎えいれてくださるのです。このようにして主イエスは、わたしたちを神と結び付ける、真の神殿となってくださいました。それによってもはや地上の神殿は不必要になったのです。

 いろいろな宗教とキリスト教とどこが違うのかといいますと、神と人間とを結び付ける仲立ちをする人物の違いです。ユダヤ教とキリスト教の違いは、ユダヤ教の媒介者がモーセであるのに対して、キリスト教はイエス・キリストだといえましょう。モーセの場合は、果たした「役割」その「働き」によって神と人とが媒介されているのに対して、主イエスの場合はキリストの存在そのものが媒介となっています。モーセは人間ですが、イエス・キリストは「肉となられた言」(1:14)、「神と人とが一体となられたお方」です。キリストは、神と直結した「神の子」であり、しかも生身の人間となられて、人間と一体になって、神と人間とを完全に結び合わせくださいます。

 それですから、ヨハネ福音書は「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである」(2:21)と言っているのです。わたしたちを~と結びつけるのは、神殿のような建物、器ではなくて、わたしたちのために神とわたしたちを執り成してくださる、生けるキリストです。キリストの御生涯の最後の夜、主はゲッセマネの園で、同伴した弟子たちが「わたしと共に目をさましていなさい」と命じられていたにもかかわらず、疲れ果てて眠ってしまったときも、ただ一人激しく祈り続けられました。そのように、わたしたちが父なる神から迷い出て、霊的に眠ってしまっている時にも、主イエスはわたしたちの一人一人のために、父なる神に執り成し続けておられるのです。

 最後に、ヘブライ人への手紙10章19節〜22節をお読みいたします。「わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。・・・わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」旧約の人間が造った地上の神殿は、天上の神の造られた神殿の模型に過ぎません。キリストは真の大祭司として、わたしたちを生ける神と交わる者としてくださったと教えています。

 キリスト教は唯一信仰でありますけれども、だからといって排他的であるのではなく、人類の救済の完成として、霊的な包括性をもっています。わたしたちは一人一人「まことの神殿」まことの仲保者としてのイエス・キリストによって、神の恵みのただ中に導かれ集められて神の民となることができるのです。

 お祈りいたします。

 神さま。わたしたちが本当に神の宮を「祈りの家」として行くことができますように、それぞれの家庭、職場や居場所にあって、恵み深くわたしたちと共にいてくださる主イエスに、わたしたちの方でも平素の生活の中でしっかりと繋がり、神を仰ぎ、神さまとの新しい愛の命に繋がって、霊の力を頂き、神の僕として生活することを通して、この礼拝を本当にあなたに繋がり、あなたの民となり、讃美の群れとなることが出来ますようにわたしたちを導いてください。

 イエス・キリストの御名を通してお願いいたします。    アーメン

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