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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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2024年7月礼拝説教


★2024.7.21 
★2024.7.14 「命の希望はここにある」マルコ6:14-29
★2024.7.7 「わたしたちに託されたもの」マルコ6:6b-13
「人々を深く憐れまれるイエス」マルコ6:30-44
2024.7.21 大宮 陸孝 牧師
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。(マルコによる福音書6章34節)
 30節の「さて使徒たちは集まって来て」という言葉は、12〜13節の「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」これを受けている。つまりこれは弟子たちの派遣と帰還の物語であります。その間の14節〜29節には、洗礼者ヨハネの逮捕と処刑を告げる物語が挟み込まれています。これを一連の状況として説明しますと、〔派遣された弟子たちが、悔い改めを宣べ伝え、悪霊を追放し、病人を癒していたまさにその時にも、つまり、イエスと同じように「神の支配」の到来を宣べ伝えていたまさにその時にも、この世の片隅では「闇の支配」が依然として続いていたということです。その光と闇のコントラストは、少なくともヨハネの死がまるで「犬死に」のようにしか見えないことによって、いっそう際立って来ます。頽廃した宮廷での馬鹿騒ぎの結果、新しい時代の幕開けを告げる役割を担っていたヨハネが、無慙に殺される。しかし、人間の罪が作り出すそのような「闇」を貫いて「光」が差し込み、その「光」を弟子たちも高く掲げるのです。ヨハネの一見「犬死に」のような死は、確かに悲惨ではありますけれども、ヨハネは「闇」の支配力の大きさを自らの死で証ししつつ、それでもなお、どれほど深い闇も、光に「勝たなかった」ことを示しているのです。どんなかすかな光でもいったん耀けば、少なくともその場所では、闇がどれほど深くとも、その闇は光に切り裂かれるのです。

 30節を続けて読みます。「さて、使徒たちはイエスの所に集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した」。ここで宣教から帰って来た弟子たちは「使徒」と呼ばれています。この使徒という言葉は、「使徒パウロ」のような使い方と違いまして、文字通り「使わされた者」という意味です。マルコは、6節後半以下で十二人の弟子たちが主イエスによって宣教に派遣されていましたが、その派遣された弟子たちがイエスのもとに帰って来たのです。初めての宣教活動で、不安と緊張に満ちた経験をして帰って来ました。弟子たちは、自分達のしたことや語ったことを、「残らず」先ずイエスに報告しました。「残らず」という言葉は、自分たちの経験を勢い込んで話す弟子たちの姿を連想させます。弟子たちは気持ちが高ぶっていたのかもしれません。しかし疲れてもいたのでしょう。

 イエスはその弟子たちの様子を見て、彼らが休息を必要としていることを敏感に感じ取られました。報告を聞いた後で、イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」(31節)と言われました。ここには、宣教活動に従事する弟子たちに対する、イエスの細やかな配慮を見ることができます。人々は、これまではイエスのもとに殺到して来ましたが、今や弟子たちのところにも集まって来ます。彼らがイエスのように悔い改めを宣べ伝え、悪霊を追い出し、病人をいやしていたからです。そういう弟子たちに、イエスは、「人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われるのです。人々が弟子たちのところに押し寄せてきて、「食事をする暇もなかったからである」とマルコは書いています。31節の「人里離れた所」という言葉は「荒れ野」とも訳される言葉です。「人里離れた所」は、なによりもイエスの祈りの場所でした。イエスは、宣教活動の後、よく一人で人里離れた寂しい所へ退かれましたが、帰って来た弟子たちにも、人里離れた靜かな所でのしばしの休息を勧められたのです。イエスは、弟子たちだけ人々から離れてそこに行くように言われたのではありません。弟子たちが舟に乗って行くときに、イエスも行かれました。イエスは、わたしがいつも憩いの場所としているところへ一緒に行こうと、弟子たちを招かれたのです。わたしたちの礼拝もこれに似たところがあります。わたしたちも、日ごとの生活から一時切り離されて、~のみ前に憩うのです。

 イエスと弟子たちは、群衆を避けて、舟に乗り込んで一足早く別な場所に移動し、そこで食事を摂って休もうとしました。ところが徒歩で湖を回りこんで追いかけてきた群衆の方が、イエスの一行よりも先にその場所に着いてしまいます。そのことは、、群衆がどれだけイエスと弟子たちを求めていたかが強調されることになります。しかし、イエス一行よりも先に到着していた群衆は疲れ切っていました。その群衆に目を留めるイエスの姿が、ここでクローズアップされます。そして、この群衆を見つめる主イエスの眼差しからすべてが始まります。

 この群衆が主イエスの目には 飼い主がいない羊のように映ります。羊というのは自己管理能力に欠ける動物で、羊飼いがいないとすぐに途方に暮れてしまう動物です。「飼い主のいない羊」のような群衆は途方に暮れていました。この荒涼とした場所で人々の心細さは尋常なものではなかったはずです。しかし、この荒涼とした砂漠の中だったからそうなったというのではなく、心の奥底では、もっとずっと前から心細かったはずです。だからこそ、人々はイエスの前に集まって来ていたに違いありません。
主イエスの眼差しは、途方に暮れた群衆の生身の姿を捕らえています。その哀れな外見だけではなく、もっと深く、彼らの心の奥底にまでその眼差しは届いています。「飼い主のいない羊」のような群衆をイエスはじっと見つめています。イエスの心は激しく揺さぶられ、イエスの心に深い憐れみが湧き上がります。

 愛に満ちたイエスの眼差し、激しく揺さぶられるイエスの心に湧き上がる憐れみの思い・・・それが、主イエスの救いの業の源泉であります。イエスの心に湧き上がった「憐れみの思い」を英語訳の聖書は、「コンパッション」という言葉で訳しています。「コンパッション」はラテン語の「コンパティオル」が語源で、これは「共に苦しむ」という意味です。イエスの憐れみは「同情」同じ思いになることを超えて、「共に同じ苦しみを苦しむ」ことにまでいたっています。

 主イエスがこの群衆に目を留めたという事実、そして、その眼差しが彼らの心の奥底にまで深く届いているという事実、また、そのことによって、イエスの心に深い憐れみの思いがわき上がって来たという事実、その事実こそ、「飼い主のいない羊のような」群衆、他の人には見捨てられたようなこの群衆が、~には見捨てられてはいないという事実を確証していることなのです。その事実だけですでに救いがそこにあり、それだけで既に十分なのですが、主イエスは具体的にその事実を目に見える事実として実証するのがその次の出来事です。

 弟子たちもこの群衆のことを気にかけていました。ですから、時刻も遅くなったので、群衆を解散させるようにイエスに提案しました。弟子たちは「ここは人里離れたところで、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう」と語ります。弟子たちの提案は現実的な提案のように思われます。このものがたりの占め括りの44節でわかりますが、、群衆の数は数え切れないほどだったのです。たまたま弟子たちが持っていた手持ちの食料ではどうにもならないことは明らかでありました。

 しかし、イエスと弟子たちのやり取りを見ますと、弟子たちの提案は必ずしも現実的ではありません。あなたがたが彼らに食べ者を与えなさい。という主イエスの言葉に、弟子たちは「わたしたちが二百デナリオンものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」と答えています。新約聖書のたとえ話しによりますと、労働者の一日の賃金が一デナリオンですから、二百デナリオンは二百日分の労賃に相当します。弟子たちは群衆をざっと見渡してそれだけの量のパンが必要だと見積もったのでしょう。しかしエルサレムのようにそれなりの規模があって、多数の巡礼者を迎える体制ができていた都市ならまだしも、ガリラヤ湖に近接した「里や村」にそれだけの数のパンを品揃えした店屋があるでしょうか。すべての店を廻っても、それだけのパンを調達できるとは到底思えません。

 そこで主イエスは手持ちの食料を弟子たちに確認させます。「パンが五つと魚が二匹」でありました。群衆の中にはなにがしかの食料を持参していた人もいたかも知れませんので、それがすべてではなかったかもしれないですけれども、少なくともすぐに確認できた数はそれだけでありました。これだけでは文字通り焼け石に水で、どうにもならないと弟子たちはそう思ったでありましょう。しかし、主イエスは群衆を「組に分けて、青草の上に」座らせます。あるグループは百人毎に、あるグループは五十人毎にすわっています。「組」と訳されている言葉はむしろ列のことで、輪になって座ったのではなく、列になって座ったと見るのが妥当です。その方が分配にも便利なので、多分整列して順番を待つような態勢になったと思われます。整列した群衆に弟子たちは、主イエスの祝福を受けたパンと魚とを配り始めます。

 その時に驚くべきことが起こります。せいぜい先客十数名様までしか行き届かない筈のパンと魚がいっこうに減らないのです。そして遂に、その場にいた全員が相応の量のパン切れと魚切れを手にしてそれを食べるのです。弟子たちも空腹であったのは同じ筈でありましたが、ここでは給仕に専念しています。「すべての人が食べて」とありますし、主イエスも弟子たちも一緒に食べたと考えるのが自然ですから、彼らも食べたと思うのですが、マルコは給仕する弟子たちのことだけを書いています。その弟子たちの奉仕を受けた「すべての人が食べて満腹した」と42節には書かれています。それだけではありません。「パンの屑と魚の残りを集めると、一二の籠にいっぱいになった」(43節)とも書いています。「お腹もいっぱいになり、籠もいっぱいになった」のです。「一二の籠」と言っていますから、十二弟子全員がそれぞれ籠を持って、残り物を回収したのだということです。「五つのパンと二匹の魚」を収めるには、籠のサイズにもよりますけれども、まさか十二個も籠は入りませんので、明らかに「残り物」のほうが、食事前の量より多くなっているということです。

 何が起こったのか、すべては、主イエスのあの眼差しから始まっています。主イエスの憐れみが群衆を包み、「飼い主がいない羊のような」群衆に主イエスが心の底から連帯し、仮に僅かな食料であっても、主イエスがそれを祝福し、弟子たちの奉仕を通してそれを配るときには、その祝福が具体的に一人一人のもとに届けられるだけではなく、その祝福が満ち溢れるほどに一人ひとりの人を包み込む。その奇跡は、主イエスのあの眼差しから既に始まっていたのです。マルコがこの出来事で一番言いたかったことは五つのパンと二匹の魚が全員を満腹させた上に、なお有り余るほど残ったということよりも、主イエスの群衆を見つめるあの眼差しがこの群衆を包み込んでいたという事実ではなかったかと思います。

 この物語は、たとえば「荒れ野のマナ」の話(出エジプト記16章)や、エリヤとやもめの話(列王記上17:8〜16)、エリシャの話(列王記下4:42〜44)など旧約聖書のいくつかの物語を連想させます。とりわけ「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と始まる、詩篇23編との関連が一番強く意識されます。マルコは恐らく詩篇23編を預言の言葉と見て、その預言がここで成就していると指摘しようとしているのだと思います。しかしながらここには、あの詩篇23編との決定的な違いもあることにも注意しなければなりません。詩篇23編は「ダビデ」と名乗る詩人の個人的な体験を語っていました。しかし、ここでは「男だけでも五千人」の人が、同じ体験をしたのです。彼らは「飼い主のいない羊のような」状態だったのですから、もっと密度の高い経験となっているということです。「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない」という詩人の確信が、ここでは殆ど無数の人に共有されたのです。「人里離れた場所」とは、もともと「荒涼とした場所」という意味です。そんな場所であっても、主イエスのあの深い憐れみの眼差しに包まれた人々は、空腹を満たされ、実はもっと重大なことでありますが、魂の虚しさも満たされることになったのです。それはやはり、「奇跡」と呼ばなければならないでありましょう。

お祈りします。

父なる神さま。

あなたは、「飼い主のいない羊のような」身勝手にあなたのもとに押しかける群衆を受け入れて、祝福のパンと魚をもって養われたように、わたしたちをも、主御自身と恵みをもって養ってください。あのパンと魚のように取るに足りないわたしたちですが、主の御手に委ねるわたしたちを、取ってご用にお役立てください。

主イエス・キリストの御名によってお祈りします。   アーメン

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「命の希望はここにある」マルコ6:14-29
2024.7.14 大宮 陸孝 牧師
イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にも入った。(マルコによる福音書6章14節)
 本日の福音書の日課の最初の6章14節から16節のところでは、イエスとは誰かというテーマが再度取り上げられ、そして、ヨハネの死を報じる17節〜29節へと展開してゆきます。マルコ福音書はすでに1章14節で「ヨハネがとらえられた後」という言葉から主イエスの公生涯を語り始めていまして、そこですでにヨハネの死を暗示しておりました。そして本日の日課の箇所でも、ヨハネの死はかなり以前の出来事とされていまして、主イエスについて「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」という考えがあったと語られ、それをきっかけにして、過去を振り返る形で、ヨハネがどのように死を迎えたかが述べられています。マルコ福音書はなぜ、この箇所でヨハネの死についての伝承を取り上げることにしたのか。またなぜ、ヨハネの死の出来事を、このように詳しく書きとどめたのでしょうか。

 前後の脈絡を確かめますと、この箇所の直前には主イエスが十二人を派遣したことが語られ(1〜13)、直後には十二人の使徒たちが主イエスのもとに帰ってきたことが語られています(30)。つまり、十二人の派遣の記事に挟まれていることになります。十二人は主イエスに遣わされて、宣教し、悪霊を追い出し、病人をいやしました。主イエスの権能によって、主イエスがなさってきたのと同じ業を行った。主イエスの活動が盛んになり、また広がって、使徒たちの手を借りるほどになっている様子をここに見て取ることができます。それに伴って「イエスの名が知れ渡り」(14節)、大勢の群衆がそばに集まってくるようになった。すると、「この方はいったい何者だろう」という問いが切実なものになってきます。

 この6章で語る十二人の派遣とそれに続く五千人の給食の記事は、この時主イエスの活動が最も盛んであったことを示しています。そこでこのような力を働かせているイエスとは何者か、この問いに対してマルコは不思議にも、洗礼者ヨハネの死の様をもって答えとしたということなのです。

 本日の日課の始め一四節に「イエスの名が知れわたって」とあります。イエスという存在が明らかとなって、一体イエスとは誰か、何者か、真剣さの度合いは違っていても、みなそのように問わざるを得なくなったということです。「ある人々は『バプテスマのヨハネが死人の中からよみがってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ』と言い、他の人々は『彼はエリヤだ』と言い、また他の人々は『昔の預言者のような預言者だ』と言った」という人々の反応が、そのことを証ししています。バプテスマのヨハネが捉えられた直後に主イエスの活動が始まったことは、マルコ1章14節にすでに語られていました。そのヨハネは、イエスの名が広まったときにはすでにヘロデにょって殺されていました。そこで、ある人々は、イエスは生き返ったヨハネだと考えました。イエスこそヨハネの後継者だと見たのです。大きな違いがありましたが、確かに共通点もありました。姿や形ではなく人々にあれかこれかの決断を迫るような権威を持って語られる宣教の姿勢そのものに、それが最もよく現れていました。ヨハネがイエスのように、病を癒やしたり、悪霊を追い出したり、不思議な業を行ったという証拠は全くありません。ヨハネ福音書10・41には「多くの人がイエスのもとに来て言った『ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したのは本当だった』」とあります。イエスがヨハネの生まれ変わりならば、いまその程度の業を行ってもおかしくはない、人々はそう判断したということです。

 そして、ある人々はイエスは預言者の一人だと考えました。その預言者の中でも特にエリヤと見なした者たちがいました。旧約聖書の最後の書、マラキ書には、終わりの日に、それまで神のもとで守られていたエリヤが地上に遣わされ、天国のはじまりの準備をすると預言されています。主イエスの出来事に、終わりの日が近いことを見て取ったと言うことです。しかし、終わりの日が単に近いのではありません。そうではなく、この主イエスにおいて既に来ている、彼こそメシア、キリストだという見方は人々の中には起こらなかったのです。イエスとともに待ち望んだ救いが到来したとは考えられなかったのです。

 それは無理もないことでした。この国ではヘロデのような者がなお権力をほしいままにし、支配している中では、イエスがどれほど権威ある者のように振る舞ったとしても、そのイエスの宣教、その言葉と業に、ヘロデの支配をはるかに超える神の支配の到来を見て取ることができなかったとしてもやむを得ないことだったと思われます。実際に、この人々は、後にはイエスを十字架へと追いやることにもなるのです。

 「イエスの名は知れわたり」ましたが、しかし、必ずしも神から来たメシアだと受け取られたわけではなく、人々は悔い改めて神の国に向けて歩み出すまでには至らなかったのですが、神の国の到来が語られ、告げられ、人々はその宣教の前に否応なしに立たされることになりました。それこそが、派遣された弟子たちの使命であったと見るべきでしょう。

 14節には、主イエスの名が知れわたったことにより、「ヘロデ王の耳に入った」と書いてあります。主イエスが主に活動した場所はガリラヤの西北部です。弟子が派遣されたのも、基本的にその付近でした。ガリラヤ湖の西岸テベリヤというヘロデが建てた新しい都には、主イエスは近づかなかったようです。

 このヘロデ・アンティパスという人物は、紀元前四年に、一六歳でガリラヤとペレア地方の領主となり、紀元後三九年まで治めていました。出自はユダヤ人ではなく外国人です。父であるヘロデ大王の次男であり、主イエス誕生の際に嬰児虐殺を行ったこの父以上に残忍な性格の持ち主であったと言われています。このヘロデと主イエスの関係を福音書全体を通して見てみますと、イエスは明らかにヘロデと距離を置いているかに見えます。それはルカ福音書によると、ヘロデがヨハネを殺し、さらにイエスを殺そうとしていたからです。(ルカ13・31)主の時はまだ来ていなかったのです。その時が来るまでは、挑発的なことを避けていたのです。

 主イエスは、ヘロデが自分を殺そうとしていると聞いて、ヘロデを狐と呼び、さらに別の機会には「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」(マルコ福音書8・15)と弟子たちを戒めています。挑発を避け、危険を回避します。しかし、そのことは、イエスが権力に屈し、筋を曲げた。あるいは、相手の立場を見て譲歩し、悔い改めを求めなかったと言うのでもありません。本日の日課の少し前の、12節には「一二人は出かけていって、悔い改めさせるために宣教した」とあります。弟子たちは徹底して悔い改めを語りました。神の国に相応しいあり方を説いたのです。支配者ヘロデの耳にもそれは聞こえたのです。ヘロデは深く感じるところがあったはずです。支配者ヘロデも耳を傾けざるを得なかったということです。

 このメッセージがヘロデに届いたときに、ヘロデはこれを聞いて「『わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ』と言った」とあります。人々がいろいろと噂をしていたその中でヘロデがこのように判断したのは、ヨハネを殺害したヘロデの不安と恐れからであろうと推察されます。ヘロデはヨハネを殺害しました。17節以下に、そのことが挿入のように語られます。ヘロデがヨハネを殺害する挙に出たのは、正妻を追い出し、兄弟の妻であるヘロデヤという女性を自分のものとするという姦淫の罪を、ヨハネによって厳しく非難されたからでした。実際にそれは当時の法律に照らしても赦される行為ではなかったのです。

 マルコ福音書によりますと、ヘロデはヨハネによって語られる神の言葉に良心を動かされ、それで、ヨハネに手をかけることを押し留めていたようです。ヨハネの言葉を聞く度に、悔い改める機会が何度もあったということを意味します。しかし、結局は悔い改めることはしなかった。それどころか、かえってこのことを通して、ヘロデは自分が王としての寛容を持っていることを示す機会として利用していったのです。そして、思わぬ仕方で、ヘロデは殺害という罪の淵に落ちて行ったのです。

 ヘロデがヘロデヤの娘に「この国の半分でもあげよう」と言ったのはヘロデの見栄にすぎません。ローマの支配下にある土地の一部たりとも、彼にそれを処分する権利はありませんでした。ヘロデはいったん誓ったのと、列座の人たちの手前、つまり自分に縛られただけではなく、他人に縛られて、自分の行為を決定します。悔い改めとは反対に罪の上塗りをして行くのです。

 ほんとうに理不尽で残忍なし方で、ヨハネは殺されました。こんな運命を辿っていくヨハネの生涯にどんな意味があったのかと問わざるを得ないような結末でした。あの荒れ野で人々に悔い改めを語った神の人の声も、結局は無駄だったのかと思わされます。そして、このヨハネの激しい悔い改めの言葉が、やがてヘロデを、主イエスの前に立たせることに繋がって行くのです。ヨハネの人生は、主イエスの前に人々を立たせるために用いられました。「見よ!この人だ」と主イエスを指さす者とされました。これがヨハネの人生の意味であり、希望であるとマルコは語っています。そのように、ヨハネの人生を通して、確かな信頼に足るものとして、神のことばがわたしたちに示されたのです。それがヨハネの人生の意味です。そうであるならば、その神の言葉を生きるわたしたちの人生も確かでない筈はありません。

 マルコ福音書はヨハネの死を詳細に語っております。それは実は主イエスが十字架に掛けられるのはどのようにしてかを明らかにするためでした。ヨハネが主イエスを指さして「この人を身よ!」と言ったのはイエスが十字架に掛けられる詳細を見よ!と言っているのです。あなたはこの主イエスの十字架の死の前に立たされることになる。その死の意味する所をまっすぐに見よ!と、主イエスのわたしたちの罪の購いのための死、わたしたちの罪の赦しのための死をしかと受け止めよ!そこにこそあなたがたの命の希望はあると、生涯を掛けてわたしたちに語っているのです。

 お祈りを致します。

 父なる神様。あなたはわたしたちを真実の愛と命の言葉で導き生かすために、わたしたちのところに、命の言葉として来てくださいました。その恵を心から感謝致します。どうか、憐れみをもってわたしたちを、あなたの真実の生ける言葉によって導いてください。主の十字架の恵みをわたしたちに知らせ、わたしたちが喜んであなたに従って生きる者とならせてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。   アーメン

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「わたしたちに託されたもの」マルコ6:6b-13
2024.7.7 大宮 陸孝 牧師
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。 7そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。(マルコによる福音書6章6b-7節)
 ご自分の故郷ナザレでは福音が受け入れられませんでしたが、それからイエスは付近の村々を回って教えられました。そしてそこでも町々村々の会堂を用いる伝道ははばまれたようです。

 しかし、その一方で時が熟していることをイエスは見ておられます。十二人の弟子たちを全国に派遣する時が来ました。弟子たちは、3章14節にありますように宣教に遣わされるために召されましたが、主は弟子たちをすぐに派遣することはなされませんでした。教育がまず必要でした。しかし、その教育はゆっくり時間をかけたものではありません。主イエスはかなり早くその教育に一段落つけて彼らを派遣されます。

 マタイ福音書では、イエスはこの時収穫という言葉を使っておられます。これは「時は満ちた。~の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という宣教の言葉と関係がある言葉です。時は既に満ちている。だから、宣教はナザレの村や周囲の町々村々の局地的なことではなく、世界全体にわたってなされなければなりません。この時には、実際に、ユダヤの人々は大揺れに揺さぶられ、14節以下にもありますように、ヘロデでさえも不安と怖れに陥っていたほどでありました。

 本年度の福音書日課はマルコ福音書を中心に読んでいますが、わたしたちは、主イエスが一人一人と人格的な出会いをされたこと、ひとりの魂の中で新しい人間の誕生が徐々に行われていくこと、一人の真実に信じる信仰者からもう一人の人へと福音の証しがもたらされることを学んでおります。それは真実ですが、反面において、見過ごしてはならないことを御言葉は提示しています。それは福音の宣教が世界的な規模で行われるということです。福音が少数者に誠実に信じられ、世間は何の影響も受けない、というのではなく、福音の宣教が社会を震撼させ、王宮も動揺させるということです。しかも、そのような激動を巻き起こしたのはわずか十二人です。少数者であるので、一世を震撼させることができない、と断念することはいらないのです。

 主はまず十二人を呼びよせられます。これは3:13にもあったことばですが「召し出す」という意味になります。イエスによって宣教に派遣される者は、まず、召し出されなければなりません。そして、召し出された者は召し出されたことによって神の恵みを証しし、遣わされることによっても神の恵みを証しする勤めを果たさなければなりません。~の恵みの業であることを示すこと、それで自分が神の救いの業を証ししているのは自分の人間的な資質や功績を~によって認めて頂いたからではなく、全く~の無条件の選びであることをしっかりと受け止めなければなりません。

 そしてつぎに、イエスは弟子たちを二人一組にされました。それは弟子たちの弱さを考慮してのことであったと思われます。一方が落胆しても他方が慰めたり、一人の躓きをもうひとりがかばったり、単独ではすることができないことを協力して行い、より適切な判断をくだすというようなことだと思いますが、重要な事柄の証言は、ふたり以上の証言を必要とされます。つまり遣わされた者は単に個人的なことを語るのではなく、キリストの代理者としての公的な資格と権威において人々に接するためであったと推定されます。このことを明瞭にするために、弟子たちに汚れた霊を制する権威を与えておられます。これは個人的に力を授けられたことではありません。弟子たちのうちのあるものが、人に頼まれてやって見ましたが、悪霊を追い出すことができなかったという記事が9章にあります。彼らは宣教の使命のためにはその権威と力が与えられていましたが、自分自身、つまり個人的なことのためにはその力を行使することは許されていなかったのです。ですから、この悪霊を追い出す力を行使できたということは、弟子たちがイエスから命じられ、また託されて、この務めを行っているという徴でもあったのです。主の恵みの働きとして確認して行くことも大切なことでありました。伝道者として遣わされた者は、わたしのものではない~の権能を帯び、わたし自身のことばではなく委託された~の御言葉を語るのです。そうしてこそ、キリストの代理者として~の救いの恵みを語るものと言えるのです。

 また宣教の旅のためには何も持たないように、とイエスは命じられます。パン、袋、金銭、旅行のための必需品一切を持つなといわれます。命を危険にさらすようなものです。終末を目指して歩む私たちのこの世の信仰の旅は途上の存在なのです。宣教へと召し出されるということは終末を目指す生活をともなって呼び出されるのです。物質的な条件の整った生活からは福音は現実となって響き渡っては行かないということです。何ものにも頼らず、ただ主にのみ服従し、かつ信頼をおいて、憂い無しで生きる生活がないならば、福音の証しは立てられないのですが、しかし、イエスはそのような清貧に生きることをことさら命じられているというのではないと思います。そうではなくて、ものものしい旅支度をするまでもなく、この旅行を極めて短時間の間に行うことを考えておられるのです。不毛な地盤で宣教し続けて行くということならば、籠城の準備がいるかも知れません。しかし、主イエスは急いでおられるのです。全ての人々のために~の国を到来させなければならないのです。わたしたちはまた、すべての人間的な配慮を越えた主の配慮が、伝道者の生活を支えるのだということをここに読み取っていかなければならないと思います。御言葉を語る者自身が生活のことを憂える必要もありませんし、御言葉を聞く者が聞く責任を後回しにして伝道者の生活の責任を担うことも要らないのです。ここでわたしたちに示されているのは福音に生きる自由ということです。二枚の下着を持たない自由、財布も持たない自由、持つ者は持たない者のように分け与える自由、そのような生活が、~の国は来たという宣言にともなってなされるときに、悔い改めが呼び起こされていくのだということです。元の生活に戻らず、退路を断つという意味もあるでしょう。

 派遣されて出て行った弟子たちは、人々をイエスの元に連れて来ることは求められていません。弟子たちの行くところ、そして彼らの宣教の言葉の中に、生ける主が伴われているからです。まず、家に入ったなら、そこに留まれと言われます。ルカによる福音書では、ここは、「同じ家に留まっていて、・・・家から家へと渡り歩くなと命じられた」となっております。意味の上ではよりよいもてなしを求めて、宿を換えてはならない。という意味ですが、そんなことに時間をつぶしている暇は無い程に時間は切迫しているということと、人間関係の関わりの徹底した誠実さを要求しておられるということでもあるでしょう。誠実さとは姿勢を変えないということであります。伝道者は始めに受け入れて接待してくれた家庭に対して誠実でなければならない。もてなしが行き届かなくても、もっとよくもてなしてくれる豊かな信徒が出来たとしても、引き移るということは許されません。

 弟子たちはどこの村でも、宿を取らせてくれる家を見つけることができました。その家を本拠としてその村の伝道がなされました。しかし、宿を取らせてくれても、福音をかならずしも受け入れているわけではありません。宿を与えるという人間的行為と、福音を受け入れるという信仰的なことがらとは、余り関連性がないということも考慮に入れておく必要があるでしょう。この双方に対して伝道者は誠実でなければならないということであります。

 キリストの弟子であるがゆえに迎えられず、話を聞いてもらえない場合は、毅然(きぜん)とした態度が必要だと言われます。行われていることが公的な~の派遣によることですから私的・個人的な事柄に帰結させ、集約させることができないからです。~の国(~の支配)は既に始まっているのですから。そのときは、そこにいる人々への証しのために公然と足の塵を払い落とせといわれます。これは受け入れられなかったことへの抗議や腹いせではありません。その村への最後のつとめとして、終末が近いということを身をもって証しせよということなのです。つまり終末的な滅びによってこの村が滅びるときに、もはや自分は全く感知するものではないということを意味します。この土地と自分との間には塵一つほどの共通なものはないという意味が込められています。短気を起こしたのでも、私的制裁に走ったり、私憤に駆られたのでもないということです。弟子たちは全力を出し尽くしたのです。やって見て成果が上がらなければ、またやり方を考え直すという日常的な事柄とは次元の違う事柄なのです。

 そして足の塵を払えとの指示の中には、もう一面の意味があります。それは派遣したもうた主が、全力を尽くしてなお成果を収められなかった場合、失敗の責任を追及されないということです。端的に言って、福音を受け入れない人は滅びるのです。その人に福音を説いた使者は、責任を感じていたたまれなくなるでしょう。「福音が聞かれないのは、聞かない人が悪いのだ」と言って済ますことも出来ない。しかし、それでも、わたしたち人間は他人の救いについてどれだけの責任を取ることが出来ましょうか。責任意識がどれほど強いものであっても、果たせないものは果たせません。その責任の行方はどうなるのか。主イエスがそれを免除されるのです。「足の塵を払え、この町の滅びについて、わたしはお前をとがめたりはしない」イエスはそのように言われるのです。もしもこの段階で断固として福音を拒否する者に対しては、その現実を神さまに委ねなければならないのです。希望を恵みの~につなぐことです。

 弟子たちは出て行って、悔い改めを宣べ伝えました。真実の宣教とはこの世に妥協して世の人々の要求に応えて行くことではなく、世の人に取り入るような言葉を語ることでもありません。生きる方向を~の御言葉と御旨を求め服従することに向き直るように勧めることであるのです。どんなに厳密に、どんなにわかりやすく語られても、このような悔い改めが起こらなければ、わたしたちの人生は真に価値あるものとはならないのです。人は自己を内省したり、他の人を鏡として見ることによっては悔い改めには至ることが出来ません。宣教された真の~の言葉を聞き、それに服従し生きる時に悔い改めが成り立たつのです。要するに~の国の福音は既存の人間の精神的文化的向上の延長線上にあるのではありません。~無しに生きていたわたしたちの過去と断絶し、~の新しい永遠の命につながり生きる未来に向けて方向転換をすることであり、人間の全人格的な更新の出来事なのです。

 多くの悪霊を宣教によって追い出される出来事が起こったのも、真の~の言葉が語られるところに、主イエスが主権をもってそこにおられるからこそなのです。~の言葉を語るのではなく、悪霊が取り憑くような、逆に悪霊が~の言葉を追い出すというような、醜い事態を教会の中に起こすようなことがあってはならないのです。弟子たちはさらに病人をいやしました。「油を塗って」という言葉に注目します。これは病気に苦しむ者のために世話をし、愛の業をなしたという当時としての医療行為を意味する表現です。医療や社会福祉の領域から~の御言葉が除外されるようなことがあってはならないのです。「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛み」(イザヤ書53章4節)そのお方がわたしたちの救い主である以上、主イエスの働きを継承する教会はこの働きに本来的に関わって行く使命を与えられているのです。この世的には杖一本頼るものとてない枯渇したような状態の中で、自分も飢え求める者となったときに、~は命の力を与えて下さる。そして、主の十字架をこそ拠り頼み、支えられる一本の杖として与えて下さるのです。

 お祈りします。

 イエス・キリストの父なる神様。あなたはわたしたちのようなものをも、主イエスの恵の深い贖いの業のゆえに、喜んで受け入れて下さいます。その約束が主イエスを通して実現していることを、わざわざ僕を遣わして、あなたから遠く離れているわたしたちのもとに憐れみを持って届け、知らせてくださっています恵を感謝致します。

 どうか、この救いの知らせをいただく全ての人が、この福音の知らせを受け入れることができますように、また、遣わされた者が教会を通して語る御言葉を受け入れることができますように、憐れみ深く人々の心を動かして下さい。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。  アーメン

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