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牧師メッセージpastor'S message


 「ひとりでいる時も大切だよ」Ⅱ
 
                      
大宮 陸孝 牧師    


 「あなたたちの父アブラハム あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び 彼を祝福して子孫を増やした。」
               イザヤ書51章2節

 3月のお便りの続きです。子どもが一人でいることの重要な意味を考えると言うテーマで、今回はエリーズ・ボールディングの「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」 副題―孤独が子どもの創造性を育む―〈小泉文子訳〉を紹介します。

 エリーズ・ボールディングは、ノルウェー・オスロ生まれの平和学者、社会学者で、アメリカ・ニュージャージー州在住で在りました。経済学者のケネス・E・ボールディングと結婚後5人の子どもを育てながら、平和研究に取り組み、1969年、ミシガン大学で社会学の博士号を取得、ダートマス大学の名誉教授。国際平和研究学会(IPRA)の事務局長、国際連合大学の理事などを務めました。20世紀後半の最も重要な平和運動家の独りとも言われる人物です。この名著を日本語に最初に翻訳したのが、日本の幼児教育の第一人者でもある小泉文子氏です。

 否定的にしか論じられない"孤独"が実は子どもの内的成長には欠かせない必要なものであると著者は述べます。アイデンティティの認識、独創性、その他人間には一人でいる時にしか起こらないある種の内的な成長があるのだ、と著者は言います。寂しさや孤立というマイナスイメージのゆえに、子どもと結びつけて考えない孤独の、積極的な意味、"一人でいる時間"にもたらされる豊かな実りに気づかされます。

 今のこどもは、内的な成長のために必要な『一人でいる時間』『自分と向かい合う時間』を確保できているだろうか。その時間は、外的世界と子どもの内なる世界とを意識的に一つに統合させ、予想も付かないような内的成長を告げる大切な時間(とき)なのだと、ボールディングは言います。この孤独は寂しい孤独なのではない。あくまで孤独(ひとり)で自らいる時間である。ケースバイケースと言うこともあろうかとは思いますが、両親やおとながスマホばかりいじっていて、子どもを一人にさせている時間は、ここで言う孤独(ひとり)ではない。それは寂しい孤独(こどく)であるということになるでしょう。

 それとは対照的に、外界の世界に反応する事に多大なエネルギーを費やしていると、人間は刺激に溺れ、内面生活や、そこから生じる創造力、また、創造性の成長を阻止し、萎縮させることになるだろう、と著者は言います。その具体的な例として上げられるのがコンピューターであります。(スマホはまだ普及していなかった時代でした。)

 「子どもの心は世界で最も肥沃な土地であり、知らず知らずのうちに蒔かれた種は、思いもよらない花を咲かせる」目に見えないものを洞察していくという心の動きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かは言うまでもありません。後に、崇高なものを宿すかもしれない心の場所はひとりでいる時に作られて行くものだと改めて認識させられます。    以下次号

                  2024年4月1日
                     

 「ひとりでいる時も大切だよ」Ⅰ
 
                      
大宮 陸孝 牧師    


  「あなたたちの父アブラハム あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び 彼を祝福して子孫を増やした。」
              イザヤ書51章2節


 昨年(2023年)10月に埼玉県の自民党県議団が、小学3年生以下の子どもだけで、公園で遊ばせたり留守番をさせたりすることを、子どもを放置する虐待行為とみなして禁止する、「埼玉県虐待禁止条例案を県議会に提出したところ、保護者などから「子育てをしている人の立場を理解していない」「現実的ではない」「子どもを一人で行動させることに制限をかけられるようでは日々の生活に支障をきたす」という声が多く寄せられ、この条例案は波紋を呼び、結局県議団は取り下げを決めました。

 埼玉県の条例改正案に反対するオンラインサイトには、「ニユージーランドやアメリカの一部の州などでは、14歳以下の子どもだけで留守番させたり、大人の付き添いなしで公園で遊ばせたりすると「児童虐待だ」として通報されるというようなことがある。しかし、その国の治安や、チャイルドシッターの普及率の高さ、またそれに関わる金額の違い、そもそも行政サポートが圧倒的に充実しているなど、背景が日本と大きく異なっています」とあります。

 福祉が充実しているドイツなどはどうなのかをさらに見てみますと、「子どもは未熟な存在」と考え、大人(保護者を含む)が監護義務を負うというのが基本的な考え方で、この監護(アウフジッヒトシュプフリッヒト)という言葉は日常生活でもよく使われているということです。「子どもが自分自身や他人に対して危険な行為をしないための責任は大人にある」という共通認識があるために、基本的に子どもが幼稚園や学校に通っている以外の時間帯については保護者が監護義務を負うということです。但し罰則規定はありません。あくまでも保護者が主体的な自覚を持って子どもを監護して行くという原則です。

 同じ年齢であっても、「独りにしておくと危険な事をする傾向のある子ども」と「そうでない子ども」がいるので、その人格や成長過程によって、親が臨機応変に対応することは許されているけれども、ドイツでは「ひとりで行動する子ども」について、親に対して厳しい視線が注がれているようです。ただし、ドイツでは福祉全般で手厚い公的な支援がなされていることを見逃してはならないでしょう。

 それで、私は上記したように、子どもがひとりでいる時には、大人の配慮が必要であることをふまえた上で、信仰という面においては、大人も子どもも共通して、ひとりでいることには重要な意味があるということを、二人の人の著書を紹介しつつ考えて見たいと思うのです。そのひとりはエリーズ・ボールディングの「子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)」と、もうひとりはディートリッヒ・ボンヘッファーで、その著書「共に生きる生活」です。     以下次号

               2024年3月1日
            

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