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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

 ルターの紋章日本福音ルーテル賀茂川教会  

牧師メッセージpastor'S message


神ア 伸(かんざき しん)牧師 プ ロ フ ィ ー ル

1977年5月23日 香川県高松市に生まれる。父の転勤のため、大阪市東住吉区田辺、横浜市港北区綱島、埼玉県朝霞市、東京都東久留米市と住まいを変え、最後にはまた埼玉へ戻る。

幼い頃から日本キリスト教会(日基)の礼拝に与り、日本長老教会で受洗。大学編入と共にルーテル教会へ信仰生活の拠点を移す。

自由学園最高学部、ルーテル学院大学文学部神学科神学専修コース(当時)、日本ルーテル神学校卒。按手礼を受け、2007年4月より愛知県の日本福音ルーテル知多教会(半田礼拝所・常滑礼拝所)へと遣わされる。

もっとも愛するのは聖書・神の御言葉に聴き、尋ね求めることだが、60−70年代の日米英独のニッチでアンダーグラウンドなロックと、50−80年代の「和ジャス」を探訪し、浸ることをも喜びとする。

2014年4月より賀茂川教会牧師。社会福祉法人京都ルーテル会 のぞみ保育園園長を兼務の後(2014年4月〜2017年3月)、現在は同園チャプレン。

4年目の歩みがスタートした。だんだんと京での暮らしにも慣れ、「ああ…自分が住まう町(街)だなぁ」と、嬉しい実感を覚えるようになってきた。そして何より、共に歩み成長してゆく信仰の仲間はもちろん、保育園のこどもたち、保護者の方々へ「主イエス・キリストを紹介する」(植村正久牧師)働きの尊さと重さ、楽しさと難しさをいっそう痛感している日々なのだ。「主よ、わが唇を開いてください!」(詩編第51編17節)と切に祈る。
                  2017.4.24
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あなたへのメッセージ

(6)主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。
(7)神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。
(8)わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。
(9)天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。
          ( イザヤ書 第55章6−9節 )

 神はおっしゃる。「見よ! 天が地を高く超えているように、神と人間には、天と地ほどの違いがあり、隔たりがある!」。「だから、尋ねよ、求めよ、わたしを呼べ!」――。
堂々たる神の言葉です。神のこころが、地響きをたてて迫ってくるような思いさえする。

ここで、8節と9節にある、神の「思い」と訳されているのは、7節にある、悪を行う者の「たくらみ」というのと全く同じ言葉です。神はおっしゃる。「天にある神、わたしから見れば、地にある人間の思いはすべて、悪しきたくらみに過ぎない」と――。驚くべき言葉です。にわかには認めがたいかも知れません。神はなぜ、これほどまでに突き放した言い方をなさるのでしょう。

私たち人間というのはそれぞれに、常識を持っています。生き方の「基準」と言ってもよいでしょう。そして、その常識や基準というのは、それぞれ異なっているのです。一人ひとりが、それぞれの「物差し」によって物事を理解し、判断し、小さな取捨選択を繰り返しながら、日々の生活を歩んでいる。

けれども、しばしばそれが、信仰の世界においても当てはめられてしまうことがある。「信じる」ということにおいてさえ、いいえ、まさに「信じる」ことにおいてこそ、人は、この私の小さな理解の中に神を押し込めようとし、自分が納得できる範囲での、自分の手のひらに乗せることができる神なら信じよう、受け容れよう、そうなってしまうことが実に多いのです。

そのような私たちに向かって、神は、大声で吼え猛る。そうではない!「天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている」。

――そう、聖書は、人間が常識的に考えるということを徹底的に否定しているのです。

イザヤの同時代人であるエレミヤも、神のこの言葉を語り継ぎました。私のこれも、愛する御言葉です(エレミヤ書 第29章12節)。

『そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう』。

ここでも神は、わたしを「信じよ」と言われるのではない。それよりも前に、それよりも先に「尋ね求めよ…!」とおっしゃる。――旧約は、この「尋ね求めよ」という神の御声にあふれています。数から言っても、「信じよ」という言葉より多い。何故か。人間には、神の思いを、その言葉を完全に理解することはどうしたってできない。人間は往々にして、人の思いに過ぎないものを神の思いだと思い込む過ちへと陥ってしまう。

「だから、もうそのような過ちを犯すな。求めよ! 見出し得るうちに。わたしは、それほどすぐ近くにいるのだから…」。

主なる神は、わたしたちに見出して欲しいと願っておられるのです。わたしを尋ね求めて欲しい。心を尽くしてわたしを求めて欲しい、と。

この神のこころは、新約に至り、主イエス・キリストを通して最もさやかに示されました。主イエスはおっしゃった。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書第1章15節)。

信じるために、悔い改めるのではありません。神を見出すために、立ち帰るのではありません。主イエスは宣言なさる「神の国は近づいた」。神の国、神の愛のご支配は、もうすでに来てしまっている。わたしは来た! わたしはあなたたちの前に立っている!

神の国のほうから既に来てしまっておいて、主イエスは呼びかけておられる。まだ立ち帰ってもいない我らの背きや罪が、一方的に神によって赦されている、だから生きよ、神の愛の支配、神の言葉のなかに生きよ!

この、主イエス・キリストの御言葉のなかに、私たちは生き、生かされる。この御声に繰り返し聴き、包まれながら、歩んで行くのです。

★機関誌「るうてる」2015年9月号に、神ア牧師の説教「主よ、ください」が掲載されています。こちらをごらんください。

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日本福音ルーテル賀茂川教会


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