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1952年宣教開始  賀茂川教会はプロテスタント・ルター派のキリスト教会です。

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2023年10月礼拝説教


★2023.10.29 「イエスの中に溢れる神の命」マタイ11:12-19
★2023.10.22 「わたしたちの命は神の愛の支配の内にある」マタイ 22:15-22
★2023.10.15 「確かな救いへの招き」マタイ 22:1-14
★2023.10.8 「神の憐れみに依り頼む」マタイ 21:33-46
★2023.10.1 「立ち帰るのを待っておられる主」マタイ 21:23-32

「イエスの中に溢れる神の命」マタイ11:12-19
2023.10.29 大宮 陸孝 牧師
 「人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪びとの仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」(マタイによる福音書11:19)
 本日の福音書の日課は宗教改革主日の日課となっている所です。本日の日課を学んで行く前に、マタイ福音書11章の前半の2節以下、バプテスマのヨハネとその弟子たちのイエスに対する質問から始まるヨハネとイエスとの対比のところを先ず確認しておく必要があります。そこでは洗礼者ヨハネのことを書き始めるのですが、マタイは既に3章の所で、ヨハネのことを語っていて、更に本日の日課の後の14章ではヨハネがヘロデに殺された次第を記していますので、この11章の記事は、洗礼者ヨハネについての三幅対(さんぷくつい)、つまり、上記の三つの互いに独立した記事を組み合わせて、バプテスマのヨハネのことを総合的に宣べている中心を成すところだと見ることが出来ます。ここでは、バプテスマのヨハネからイエスへの繋がりの関係と、両者の間の相違とが総括されているということです。その内容を深く理解した上で、本日の日課へと進んで行かなくてはならないので、ここでもう一度3章前半に立ち帰り、この洗礼者ヨハネの登場にいかなる歴史的な意味があったかということを、まず、捉え直しておくことが大事であります。

 3章の記事によれば、バプテスマのヨハネの呼びかけに応えて、「エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から人々がヨハネのもとに出てきて、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けた」(5、6節)という。ユダヤ全土がバプテスマのヨハネの言葉に揺れ動いたと語られます。ヨハネがこれ程大きな衝撃をユダヤの人々に与えたのはなぜか。その理由はただ一つ、神の裁きの宣言が人々の心を撃ったからでした。

 そのことが、「悔い改めにふさわしい実を結べ・・・・・斧が既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」(8、10節)という言葉の中に、端的に示されています。バプテスマのヨハネに託された使命は、神の審判の告知を通して、悔い改めを迫ることでありました。そしてこの告知が単なる空言に終わるものではないことを、人々は直感的に受け止めたのだということです。バプテスマのヨハネは後に14章で語られているように、当時の罪の中枢部とも言うべき、ヘロデ王家の不倫にその矛先を向け、この審判の告知の必然的な帰結として、ヨハネ自らの命を失うことになりました。このようなヨハネの生き様は「らくだの毛衣を着、腰に革帯を締め、イナゴと野密を食べ物としていた」(4節)と言う叙述の中にも表されています。ここには、荒れ野で生きる禁欲的な修道僧の姿を見るという以上に、完全な経済的独立によって、世の罪を糾弾する預言者の姿と彼の生活を通して語られる厳しい悔い改めの生活が示されているのだと見るべきでしょう。そして、ヨハネが予告する「自分の後から来る方」へと目を向けていかなければならないということ、それがここで言う悔い改めの内容なのです。

 「その方は、聖霊と火あなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(3章11節〜12節)とヨハネが告げたとき、疑いもなく、彼の後に来る者として審判者の到来を預言していた、と見るべきでありましょう。

 そしてイエスは、このヨハネからバプテスマを受けて、荒れ野での試みを経た後に、救い主としての公生涯へと旅立たれたのでした。その時期はヨハネがヘロデ・アンティパスに捉えられた後であったと、マルコもマタイも明言しています。ヨハネが逮捕されたという出来事が、ヨハネとイエスの活動を隔てる区切りとなったのでした。

 こうして活動を停止したヨハネは、自分の担って来た神に託された使命を、イエスが正しく継承しているかどうかということに関心を寄せたのは当然のことであったでしょう。ヨハネは審判者の到来を予期していたのでしたが、伝え聞くイエスの行動は、その期待とは食い違っているように見えた。マタイが5章から7章以下、多くの癒しの記事によって描いているイエスの姿は表面的に見る限りでは審判者の姿とは見えない。ヨハネが疑惑を覚えざるを得なかった理由もさもありなんと頷くことができるのです。ここに、後に本日の日課にありますように、ヨハネの弟子たちが、イエスに向けて表明した疑惑と不信の原点があったのだということであります。

 本日の日課の前の4節から6節の所で、ヨハネの弟子たちの疑問に答える形で、マタイ福音書がこれまでに語ってきたイエスの御業が総括的に語られます。そしてこのまとめの言説によって、旧約聖書に預言されている、たとえばイザヤ書35章に語られているような預言が成就した、と言う主旨の言葉が続くのです。イエスはガリラヤで、今まで人目につかない隠れた形で御業を行って来られたが、この事実を通して、「ここにあなたはいかなる人物の到来を見るか」と問い返されたのです。マタイは2節に「キリストのなさったこと」と既に宣べている言説に明示されているように、今こそ旧約の預言が成就し、救い主キリストがここに来ておられると言うことを、この言葉によって証言しているのだということになります。さりげなく語っているこの言葉は、当時の世の終わりに完成する救いをひたすら待ち望んでいた終末待望ではなく、イエスの救い主としての御業は現在既に始まっているのであり、バプテスマのヨハネのように、この世を避けて隠遁するのではなく、世俗の中へと、救い主は進み行かれるのだということ、また、旧約のラビたちが行ったように、旧約聖書を探り、そこから導き出された訓話・注釈によって自己を律して行くのではなく、主イエスは神の子として人格をとってこの世に来られ、自由で豊かな愛をもってて生きておられ、その霊の力は悪霊の抵抗を打ち破り、その呪縛のもとにある人々を救い出した。その生き様は、旧約聖書に証しされている神の御心を体現するものであったということがここに語られているのです。

 そして、イエスのこのような言動は、旧約聖書の文字に縛られ、これに固執するものではなかったので、、旧約的な伝統の遵守を至上命令とする律法学者やファリサイ派の人たちの目には、許しがたい冒涜(ぼうとく)と見えたのでした。このような当時の思想状況を俯瞰(ふかん)してみますと、5節に宣言されている、主イエスの言動を通しての救いの事実の宣言は、人々の意表を突くキリスト宣言であったということになります。マタイは、確かにこのようなイエスの言動において、生ける神の霊が、この世に臨んだのだと力強く宣言しているのです。

 さてそれで、そのことを踏まえて本日の日課にはいります。12節と13節ですが「彼が活動をし始めたときから今にいたるまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」と言う謎のような言葉で始まります。「洗礼者ヨハネの日以来今に至るまで」というのは、イエスの到来までという含みで言われているとすれば、洗礼者ヨハネの先導の下に、イエスの宣教活動が開始された時以来、天国が激しく強襲されるという事態が起こったということを肯定的に語っていると見ることができます。つまり、旧約以来の伝統から見れば、天国に対する暴力行使としか言いようがない事態が、イエスの宣教活動と共に開始されたという意味になります。そのように解釈すると「激しく襲う者がそれを奪い取る」と言う比喩的な表現は、律法の遵守という既存の旧約聖書の権威とされた枠組みを超えて、「ただイエスのみによって天国に突入する」と言う事態の強烈な表現となるのです。このように解釈すれば、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」という13節の言葉と符合するだけでなく、ルカ福音書平行記事にある解釈とも合致するのです。そして人々に向かっての「耳のある者は聴きなさい」つまり、「あなたがたがそれを受け入れる心の準備を持つかどうか、すべてはそれにかかっている」という意味の15節に繋がるということでもあるのです。あなたがたはここで起こっているイエスの出来事をどう受け止めるかと問われているということです。

 16節 11章の前半は、洗礼者ヨハネとその弟子たちのイエスに対する疑惑から説き起こし、ヨハネとイエスの対比ということが、主題となっていましたが、この16節からは一転して、広く世の人々の主イエスに対する応じ方が、総括的に取り上げられます。「今の時代」というのは、同時代の人々を総称している言葉として語られているということで、全人類ということではなく、当時のユダヤ教社会を総括する趣旨であると考えられます。「時代」と訳されている〈ゲネア〉は、「神に背いたこの罪深い時代」(マルコ8:38)とか、「この悪い時代の者たち」(マタイ12:45)とか、「信仰のない、よこしまな時代」(マタイ17:17)と言った、否定形容詞を伴った悪い意味に用いられている例が多く、罪深い人間の総称としての「世」または「時代」のことを表していると見ることが出来ますが、そのような、世界に呼びかけても応じようとしない感受性の欠如ということに焦点を当てているということです。

 17節は子どもたちが二組に分かれて、互いに声を掛け合っている様子を語る言葉でありますが、自分たちの要求に応じてくれない、という趣旨になります。笛を吹いて、喜びを共にしてくれるように求めたのに、相手は一緒に踊ってくれない。あるいは、逆に、こちらは悲しみ嘆いているのに、相手はそれに応えて胸を打ち、悲しみを共にしてくれない。どちらの場合にも、相手はこちらの求めに応えてくれない。共感してくれない。というのです。これは具体的にはどういう事態を指しているのか、続く18節から19節がこれを説明しています。

 19節の「人の子」というのは神が人となってこの世に来られた姿を表すことばです。ヨハネとイエスとは、互いに対立するのではなく、同じく世の無理解に直面する同労者として、列挙されているのですが、2節以下では、ヨハネはイエスに対する疑惑を表明していて、両者の間の隔たりが明示されていました。それにもかかわらず、両者は共に神から遣わされた者という点で一致している。そしてこの世は、そのことを全く理解しなかったというのがここでの趣旨であります。どうしてそういう事態に至るのか、それは、二人は神から派遣されたので、人間が直接理解し受け止めることができないが、神が派遣されたという正しさは、この二人が生み出している働きによって実証されているという意味合いがこの「人の子」という言葉に含蓄されているのです。

 ここまでを理解するにはそんなにむずかしいことではありませんが、さらにここに描かれている事態の本質に深く分け入るには、なお思いを凝らして行かなければならないと思います。ここにはヨハネとイエスは共に、ヤハウエの神から遣わされた者であることが記されています。そして、これを受けた「この世」とは広い意味での世俗一般ではなく、「神の民」として長い間、旧約の時代を通して訓練され、神の特別な導きの中にあった人々ということです。それなのにその人々から、かくも全面的拒否をうけるとは、どういうことがそこに起こったのだろうか。そう問い返して見るときに、人間の罪の本質的な実態が見えて来るのです。それはこういうことです。神がわたしたち人間に与えたもう使信は、罪の中にある人間の現実から隔絶しているので、人間にはその神の言葉を正しく受け止める感受性が本質的に欠けてしまっているという事態が、ユダヤ教の立場にいる人たちと、新たに神の使信をもってこの世に来られたヨハネとイエスへの対立という形をとって表れたのだと、マタイは語っているのです。このことをパウロの言い方でいうならば、人間の「肉」が神の「霊」を理解し受容することはできない、ということです。ここにはそういう人間の自己中心の罪が強烈に暴露されているのです。

 「この世」の側では、自己正当の論理を持っている。その在来の習慣的価値基準に照らして、異常と見えることをすべて排除し、断罪するその常識的な判断のことを言っているのです。洗礼者ヨハネが「この世」に「悔い改め」て神の方に方向転換変することを求めるには、神の厳粛な使信の内容を身をもって証しするため、厳格な生活に依らざるを得なかったのですが、世の常識を越えるその異常さが、人々の目にはかえって悪霊につかれていると映ります。この世の人々は判断の主体として、洗礼者ヨハネを裁きながら、実は自分たちこそ神から離れ、悪霊に憑かれているという事実が見えなくなっていたということです。

 そして、イエスは神から遣わされた者でありながら、ヨハネとはその生活態度が異なることについては、ヨハネがどんなに偉大な預言者であろうとも、一人の人間であったのに対して、イエスはどんなに卑賤(ひせん)な姿をとっていたとしても、神の子であった、という一点を際立たせ、そのイエスの中に溢れる神の命の力が、あらゆる人間的な規範や差別の枠を乗り越え、滾々(こんこん)と湧き出る泉のように人間一人一人の心に迫り来る力となって流れているということです。世の人の目には「罪人の友」と見え、イエスをそのように裁いたその「この世」の判断は、実は 自らが神の豊かな愛の命から遠く切り離されている事実を暴露されているのだということを気付かないでいる姿であるのです。

 お祈りいたします。

 主なる神様。あなたの御子がこの世に来られてから二千年という長い歴史の経過の中で、わたしたちの信仰の歩みが続けられています。そしてそれなりに教会の伝統が生まれ、教会の中にもそれにふさわしい体制や組織が造られてきました。わたしたちがその教会の体制に信仰の基準を置くのではなく、いつも新しく、聖書の御言葉に帰り、そして聖書の御言葉に告げられているあなたの救いの御業を感動をもって受け止め直して行く中で、いつも繰り返してあなたの救いの恵みに与り、神の国に生かされることができますようにわたしたち一人一人を導いてください。

 イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。   アーメン

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「わたしたちの命は神の愛の支配の内にある」マタイ 22:15-22
2023.10.22 大宮 陸孝 牧師
 「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」(マタイによる福音書22:21)
 マタイ福音書21章23節から本日の日課の直前までは、イエスはエルサレムへ入られて、祭司長や民の長老たち、つまり、サンヘドリンの要人たちとの対決・論争がずっと続いていました。マルコ福音書の平行箇所12章12節では、祭司長・律法学者・長老たちが対決の場所から「立ち去った」と記されています。本日の日課はその後に起こった問答ということになります。「15節の「ファリサイ派は出て行き」とありますが、イエスのもとから立ち去ったのは、マルコによる福音書によればこれまで論争に加わっていたサンヘドリンの要人たち全員ということになりますので、「イエスを罠に掛けるため、その弟子たちをヘロデ党の人々と一緒にイエスの所に遣わした」のはだれかと問い返してみると、前後の文脈から見るとやはり、サンヘドリンの要人たちと見ることが出来ますが、しかし、マタイはこの部分に変更を加えて、謀議の主体はファリサイ派の人だとしています。

 つまり、ここでの問答はサンヘドリンによる法的性格を持つ訊問ではなく、イエスの教えと生活態度の根幹に触れる問題であり、それはファリサイ派の人々の中心的関心事であるということがここに示されているのです。そのようにして主イエスの前にあらわれたのは、ファリサイ派の人々だけではなく、ヘロデ党の者もファリサイ派と結託して一緒にやって来たと、16節に書かれています。これは異常な事態であります。と言いますのは、ヘロデ党とはヘロデ王家の支配を支持する党派ということですので、当時ガリラヤの領主であったヘロデ・アンティパスの手先とも言える人々で、ローマに追随し地上の反映を至上命令とするその生き様は、律法の遵守を至上命令とするファリサイ派とは、全く相容れない対立者たちであった。それにもかかわらず、両者がここで結託したというのは、イエスを共通の敵とする点で一致したという趣旨が語られているのだということです。このことについては、マルコによる福音書3章6節で、ファリサイ派の人がヘロデ党の者たちと共に、イエスの殺害の協議を始めたと報じています。

 16節で彼らは、最高の賛辞をもってイエスに近づきます。「偽りなき誠の人、その教えは真理に基づく神の道であって、人を見て忖度したりすることなく、誰はばかることなく真理を直言する人である」というのです。この表現は、イエスの敵対者でさえイエスをどう見ていたかという消息を、わたしたちに窺わせます。このような人物であったからこそ、イエスは民衆の信望を一身に集めたばかりでなく、ユダヤ教の最高機関であるサンヘドリンにさえ、敢然と立ち向かったのでありました。がしかし、かれらは次の17節の問いを提起することによって、この信望を根底から切り崩そうと謀ったのでありました。

 ここで問題になっている「税」というのは紀元六年頃から徴収されたもので、この年にユダヤはローマの属州として総督の管轄下に置かれ、その政治的隷属の表現として、人頭税を納めることが義務づけられたのでした。この徴税に先立ち、資料収集のための人口調査が行われましたが、これは過酷を極めたものであったので、民衆の強い反発を招き、反ローマ闘争を惹き起こすきっかけとなったのでした。しかもこの人頭税は、デナリ銀貨で納めることになっていました。この銀貨には皇帝の肖像が刻印されていて、その裏には 「神的アウグストゥスの子、皇帝にして大祭司なるティベリウス」、または「高貴なる神の子、皇帝にして大祭司なるティベリウス」という文字が刻まれていました。これは事実上、皇帝の政治的な支配だけではなく、その神的な権威を宣言する含みを併せ持っていたのです。ということですから、律法に忠実なユダヤ教徒の間に、この納税に対する強い反発が起こったのは、当然の結果であったと言うべきでしょう。ファリサイ派はその律法遵守の立場から、この反対に先頭に立つ人々であり、逆にヘロデ党は、ローマに隷属するヘロデ王家を支持するという立場上当然この納税には賛成でありました。このように正反対の主張をする二つの党派が、その争点となっている問いを突きつけたところに、この問答の眼目があるということです。そしてカイザルに税を納めることは、法規によって命ぜられていたのですから、納めてもよいか否かということは、ローマ帝国の法秩序としては議論の余地もない、しなければならない当然のことであったのですから、反逆罪ということになるわけです。

 この両者が質問したのは、分からないから教えて欲しいというのではなく、イエスの返答次第で、その息の根を止めようと企んだのですから、明らかにこれは「偽善」であり(マルコ)、「悪意」に満ちた問い(マタイ)でありました。イエスが仮にカイザルへの納税はすべきである(律法に抵触しない)と答えたとすれば、当時の民衆感情に水を差して、これを逆なですることになりますから、その人望は一挙に失墜したでありましょう。これが、ファリサイ派の狙いでありました。そしてこれとは逆に、皇帝を神とする思想は神を冒涜することであるから、納税は律法違反であると答えればそれは国の法に背く行為でありますから、官憲の追求を免れません。ヘロデ党の人々は、ただちにイエスを官憲に引き渡そうと待ち構えていたのです。この問いに対する答えは二つに一つしかなく、そのどちらをとるにしても、イエスを打倒できるというのが彼らの目論見であったのです。実に巧妙な罠を仕掛けたのでありました。

 しかし、イエスにこの罠が見通せなかった筈はありません。絶体絶命と見えたこの窮地に立たされた時、「税の貨幣」つまり「デナリ銀貨」を見せよとイエスが言われたのは、実に絶妙な応答でありました。イエスは事実を確認することによって問題をほぐして行こうとされます。「わたしに見せなさい」と言われたのは、イエスご自身はこのデナリを持っていなかったからと解釈することもできます。そして、この求めに応じて「彼らがデナリ銀貨を持って来た」というのは、彼らが自分で持っていたのか、それとも他の人から借りて来たのか、その事情は明記しておりませんが、いずれにしてもこの実物を前にして、議論は新しく展開をして行くことになり、そしてまた、「この肖像、この記号は誰のものか」と問いかけることによって、相手みずから答えさせようとしたことも、絶妙なる論述であります。そこに刻印されていたのはまぎれもなくカイザルの肖像であり、カイザルの記号でありましたから、そう答えるほかはなかったのですが、この事実認定を通して、彼らが提起した問いに自ら答えるという結果を招いたのでした。

 このデナリ銀貨は国内各地に流通していて、ユダヤ人もこれを使用していたのだから、事実上この経済機構を承認していたことになり、モーセ律法に抵触するかどうかを改めて問うまでもなく、皇帝を頂点とする納税は、この事実を追認していたことにほかならないということになるのです。カイザルのものはカイザルに返すのは当然であって、そもそもこれはユダヤ教の律法から発言すべき問題ではないのだ、というのがここでのイエスの応答の趣旨でありましょう。つまりイエスは律法に照らしてこの納税は是か非か、と言う問いの出し方を否定し、「カイザルの政治的・経済的支配下に置かれているという事実に即応して生きて行きなさい」というのがこの応答の趣旨でありましょう。だからと言って、イエスは、カイザルの支配に無条件に従え、と言われているわけでもありません。あなたは世俗のことがらに執着するのではなく、「神のものは神に返せ」という次の言葉が、そのことを示しています。デナリ銀貨には皇帝の肖像が刻印されていましたが、それと平行して言えることは、人間は神にかたどり、神の形に創られたのだから(創世記1章26節)、人間の全存在は神のものである。だから「神のもの」である自己を神に捧げ、神に全幅の信頼を置いて信仰の服従を貫くことが、人間の生き方の基本となるのだとイエスは明言したのです。ユダヤ教の律法の根本精神はこれですよと、イエスは見事に総括したということです。

 これが聞く人々をどれほど驚嘆させたか、マタイ、マルコ、ルカ福音書が異口同音に語っています。ファリサイ派の人もヘロデ党の人も黙して退くほかなかったのでした。実に鮮やかな決着でありました。しかし、この場面での明快なイエスの返答にもかかわらず、イエスの言葉をどう解釈し、具体的にどう適用するかという点については、なおも議論を巻き起こすこととなって行きます。「神のものは神に返す」ということを、個々の具体的な問題状況で、どのように判断するかという点まで、各論的に規定し尽くされているわけではなく、各自の信仰判断に委ねられているからです。信仰者は霊的には神の支配に服し、政治的には(世俗的には)カイザルの支配下に置かれているという、歴史的な状況の中で、福音と世界この二つの支配の対立接渉がどのような様相を呈していくことになるのか、わたしたちの時代にも緊張関係にあるという重大な事実があります。ルターの二王国論が未だに議論の的となっているのがこの問題です。「神とカイザル」と言う主題は、イエスの時代から現代に至るまで焦眉の問題点でありました。イエス及び弟子たちの熱い願いであったにもかかわらず、キリストの福音が社会に受容され、この世に定着することは、客観的に見て不可能に近いことでありました。カイザルの支配に信仰者はいかに服するかという、この問題を巡り、この問いにどのように応えるかということは、ローマ帝国に教会が存立を全うできるか否かという、その後の教会の動きを決定づける分岐点となって行くのです。そのような歴史的な展望まで考え及ぶときに、ここで示されたイエスの答えが、いかに重要な意味を持つものであったかが分かるのです。

 唯一の神ヤハウエに対する信仰を純粋に守るため、熱狂的に反ローマ闘争にのめり込んで行ったファリサイ派の人たちの道を、イエスはおとりにならなかった。「カイザルのものはカイザルに」という言葉は、この帝国の中に福音宣教の余地を残す決定的な役割を果たす言葉となったのです。そして、信仰者の群れは、ただ単に体勢順応にのめり込むような自己喪失に陥ることなく、その後やがて、皇帝はイエス・キリストの父なる神の名によって戴冠式を行うようになったという重大な事実をわたしたちは思い返さなければならないでしょう。「神のものは神に返せ」と言う締めくくりの言葉は、この歴史上重大なこの動きの原点として作用し、機能したと言うことができます。キリストの福音は、一見カイザルの支配下に取り込まれたかに見える過程を経ながら、実はこのカイザルを、神の支配下に奪還したのでした。わたしたちはここで、神の真理がいかにわたしたちの歴史を制する力を内に秘めているかという奥義の一端に触れ、そのことに畏れを抱くものであります。

 お祈りをいたします。

 父なる神様。わたしたちが信仰の良心のゆえに、この世の上なる権威に従い、税を納めるべき者に税を納めておりますように、信仰の歩みにおいても、神様の愛の支配に全幅の信頼をおいて服従して行くことができますように、あなたから与えられ、委ねられております全ての賜物をあなたの栄光をあらわすために捧げ返す生き方が出来ますように、生涯を通してあなたがわたしたちの主であられ、また教会の主であられますことを言い表して行くことが出来ますように、わたしたちを信仰の人として生涯を全うすることが出来ますように導いてください。

 わたしたちの主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。  アーメン

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「確かな救いへの招き」マタイ 22:1-14
2023.10.15 大宮 陸孝 牧師
 「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜をほふって、すっかり結賀できています。さあ、婚宴においでください。」(マタイによる福音書22:4)
 本日の福音書日課の冒頭に「イエスは、また(再び)たとえを用いて語られた」とありますように、このたとえは、二一章に語られている二つのたとえ、「二人の息子」のたとえと「ぶどう園と農夫」のたとえに続くものとして、直接には、「祭司長たちやファリサイ派の人々」に語られたものと考えられます。(21章45節)そして、マタイ福音書に数多く記されている天国のたとえ、「天の国」についてのたとえのひとつでもあります。ルカ福音書に平行記事がありますので、共通の資料が下地にあって、話しの大筋は同じですが(Q資料)、細部には潤色(じゅんしょく)の跡が顕著です。ルカ福音書では「ある人」が催した「盛大な宴会」の話しになっていますが、マタイでは「王がその息子のため婚宴を設けた」とされています。マタイでは食事を準備する過程が具体的に描かれているけれども、ルカではこの招きを断った人々の理由に立ち入った説明がなされています。そしてより大きな違いは、この招きに対する拒絶が、マタイでは、招きに派遣された僕たちの侮辱と殺害にまで及んでいる点であります。これに対して王も怒って軍隊を派遣し、その人殺しどもを殺し、彼らの町を焼き払ったというのです。この町がエルサレムを示唆していることは、明らかです。つまりマタイではこのたとえが個人の領域を超えた、民族の安危(安全であるか危機が迫っているか)の問題として提示されているということになります。

 そして、「婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた人はだれでも婚宴に連れて来なさい」と語ることによって、救いがユダヤ民族の枠を超えて、広く異邦世界に及ぶということを示唆しているということになります。この点ではルカも明らかに、歴史的な状況に即して、神の救いという問題を見据えていたことはマタイと同じであるということができるでしょう。

 イスラエルの民は宗教的な祝祭日には聖所に集まり、神の恵みを感謝する祝宴を行うことが多かったので、この聖所での神の臨在と、その恵みを感謝する祝宴が、そのまま天国の予表とされたのは自然の成り行きでありました。イザヤ書に5章6節以下で語られている祝宴は、すでに死を滅ぼし、涙をぬぐって下さる神の救いを予表するものとして描かれておりまして、新約時代になりますと、ヨハネ黙示録19章7節で、その終末的完成として、「子羊の婚宴」が語られております。この流れの中で、本日のたとえを見てみますときに、イエスのたとえにおいても、天国を一つの祝宴として描かれるのは、神との交わりの最終的完成を描く表現形式として、当を得たものであるということができます。

 そして、当時の風習として、あらかじめ招待しておいた人々に、当日もう一度遣いを出すことが行われていたということですから、このたとえの中にも、その風習が反映していたということがうかがわれますが、しかし、招きを受けた人々が誰も来ようとしなかったばかりではなく、再度の招きに対して「素知らぬ顔をした」というのは、当時の風習では普通には起こりえない異常な拒否であり、このたとえの眼目がまさにこの点にあるということが、はっきりしています。そして、ひとりは畑に、一人は商売に出て行ったという説明も、この世の業にのめり込んで神の招きを断る人々の不遜な姿を描く趣旨であるだろうと言うことも明確です。

 しかし、「他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。」(六節)となると、あまりにも非現実的な展開で、日常性の限界を超えており、このことからこれは一つの寓話的な表現であることは明らかであります。そして派遣された僕を殺すというテーマは、二一章の「ぶどう園のたとえ」の中にも出て来たことでありまして、旧約聖書の預言者たちの受難を示唆していることは、皆さんも既にお聞きになっている通りであります。そして問題はこの後にあります。この招きの拒絶と叛逆に対して、「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」となると事態はますます異常でありまして、喜ばしい婚宴への招きという祝いの基調とは全くそぐわないものとなり、その特徴が極端な寓話的なものとなっています。ここはこの物語の背後にある旧約聖書に、まず探求の目を向けてこのたとえの真意を探って行かなければならないでしょう。関連する箇所としては、歴代志下30章を挙げることができます。

 列王記下18章3節によりますと、ユダの王ヒゼキヤは、宗教的祭儀の改革を断行して、「主の目に適う事を行った王」として記憶されていますが、その改革の一環として、イスラエルとユダにあまねく使者を派遣し、エルサレムにある主の宮に来て過越の祭を行うよう勧告したことが、歴代志下30章1節に記されています。この命を受けた使者たちは、イスラエルとユダをあまねく行き巡り、北の果てなるゼブルンにまで行ったけれども、「人々はこれを嘲り笑った」のです。(30・10)ところがこの出来事は、歴代志だけではなく、ヨセフスの『ユダヤ古代誌』の中にも、その記録が残っているのを見ますと、よほどの重大な出来事であったと思われるのです。ユダヤ古代誌によれば「イスラエルの人々は使者たちを嘲り笑い、愚か者として嘲弄し、・・・ついには彼らを捉えて殺してしまった」と言うのです。つまり、このたとえに語られているのと同じ出来事が、旧約時代に既に起こっていたということです。この先例がこのたとえに反映していると見ることが出来るのです。マタイがここに取り上げたたとえの語録が流布していたのは、エルサレムがローマ軍の攻撃を受けて完膚なきまでに破壊され、炎上した後の時代でありましたから、人々はこのたとえが厳然たる事実となり、神の裁きが貫徹されたと見て取っていたということになるのです。

 ここからもう一度このたとえの構成を見直して見ますと、招きに対する拒絶が三重に描かれていることに気づかされます。使者の最初の派遣には誰も答えなかった。(3節)。再度の派遣に対しても、人々は素知らぬ顔をして自分の仕事にいそしむ(4〜5節)。最後は使者の殺害にまで及ぶ(6節)という三部構成となっています。この三度の繰り返しは、神の招きに対するその民イスラエルの拒絶が、最終的な段階に達したことを言おうとする趣旨であると見ることができます。そして、そこで王は「町の大通りに出て、見かけた者は誰でも婚宴につれて来なさい」(9節)と家来たちに命じるに至っているのです。

 イスラエルの指導者たちの拒絶の後に、民のあらゆる階層にまで、神の招きは無差別に臨みます。イスラエルの民の中で進行した事態を語っているのですが、これは初期の教会の状況を反映しているのでしょう。いままでは、ユダヤ教の信仰の規範であった律法に照らして義人と悪人が区別されてきた差別を一切乗り越え、神の救いへの招きは全ての人に臨むという、革新的な新しい時代の到来を告げているのです。

 神の招きはイスラエルの民の拒絶の故にこれを離れて他に向かわざるをえない、という世界宣教への必然が宣言されるのですが、しかしそれで神の裁き自体は放棄されたわけではないということが次の11節〜14節に語られるのです。このたとえを読むときに、大通りから有無を言わさず連れて来られたのだから、礼服を着ないで席に着いたとしても、それはむしろ当然ではないかという疑問をわたしたちは持ちます。この疑問に応える解釈として、創世記45章22節、士師記14章12節〜13節、列王紀下10章22節などを引き合いに出して、王や貴族が宴会を催す場合に、来客に礼服を貸す習慣があったので、これを身につけていなかったのは、その人自身の責任だという説明がなされることもありますが、当時一般に行われていた習慣として確認することが出来ませんので、この解釈には無理があるように思われます。ここはそれよりも、この王の警告は何を意味するのかという点に注目するのが正しい読み方でありましょう。つまり、理由の如何を問わず、礼服を着けずに宴席に着くのは失礼なことであって、天国の民たるにふさわしくないというのが主眼であり、この人が黙して答えなかったということも、自分の非を認めざるを得なかったことを暗示している。ここで浮き彫りになっているのは神の招きを、特別な、得がたい恵みと思わないで、ないがしろにして、踏みにじっている人間自身の自己中心的な罪の姿であろうと思います。

 それで、ここで考察しなければならないより重要な問題は、礼服を着るとはどういうことかということであろうと思います。このことについては、終末時の救いの完成を「子羊の婚宴」として語っているヨハネの黙示録19章の賛歌の中に、「花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた」(8節)という表現があり、続いて「この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである」という説明がついています。これを参考にして、マタイのたとえに当てはめて考えますと、王の婚宴に招かれた人々は、「正しい行い」という礼服を身につけていなければならないということになります。これについてはパウロが、ガラテヤ書3章27節で「キリストを著る」あるいは、コロサイ書3章10節で「新しい人を着る」と語っていることと同意義と解釈することができます。つまり、信徒たる者は古き自己を脱ぎ棄て、キリストを新しい自己として受けた存在だということになります。これをマタイのたとえに当てはめて解釈するならば、婚宴に招かれたとしても、この内的新生を伴っていない者は外の暗闇に放り出されるということになるでしょう。そうであるならば、信仰者は自分の救いの確かさをどこに求めるべきかということが、実際的な喫緊の課題となって押し迫ってくるということです。

 教会の歴史的事実として、神の新しい招きを受けて求道の志を起こし、信徒の一人として教会に迎え入れられたとしても、後に信仰を捨てる人が出るということは紛れもない事実でありました。この経験的な事実に着目すれば、招きを受けても救いに入ることができない人がいるというこのたとえの結論は、厳粛なわたしたち教会の真実の姿を表していると言わなければなりません。マタイ福音書21章からの連続したサンヘドリンとイエスとの対決と論争そして、そういう問題状況の中で語られたイエスのたとえの展開の中で、わたしたちはどこに救いの確かさを求めるべきなのかその最終的な答えが見え始めているということであります。つまり、イエスその人の中にのみ救いの確かさが与えられているということがここで示唆されているのだということなのです。そのことが本日の日課に続くサンヘドリンの要人との対決が展開される中で明らかになって行くのです。

 このたとえでは、神の招きに応答するわたしたちの姿勢が問われているのです。わたしたちが身につけなければならないものは何なのでしょうか。まずもって、神の前にわたしたちは方向転換しなければならないということです。「悔い改め」です。(マタイ4・17)心の方向転換です。自分のことにばかり向けている心を、神の方に向け変えなければなりません。自分のことで心を満たしていてはならないのです。神の招きを心から感謝し招きを受け取ること、そして、「へりくだって神と共に歩むこと」つまり神の恵みに信頼し、神の導きに身を委ね、謙遜に神の言葉に聞き従うこと、それが招きに応えることです。わたしたちの救いに必要なことは全てイエス・キリストを通して神が既に備えて与えてくださっています。わたしたちがすることは、それを信じて受けることだけであります。

 お祈りをいたします。

 わたしたちをあなたの御国の祝宴にお招きくださる父なる神様。

 あなたがこのように慈しみに満ち、憐れみをもってわたしたちを神の国へお招きくださっているにもかかわらず、わたしたちの心が鈍く、この世のことに執着して、生涯ただ一つのその尊いお招きに応えて行くことがなかなかできないでいます。どうか、このわたしたちの頑なな心を打ち砕いて、幼子のような心で、あなたが備えてくださり、差し出してくださっているキリストという晴れ着を感謝をもって身にまとって、天の国の宴に参列する者とならせてください。

 病床にある者、遠い地にあります者、教会から離れております者をどうぞあなたの憐れみの中においてください。どうか、全世界にあなたの正義と平和が行き渡り、御心が天で成るように、地でも成されますように。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。   アーメン

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「神の憐れみに依り頼む」マタイ 21:33-46
2023.10.8 大宮 陸孝 牧師
 「イエスは言われた『はっきり言っておく(アーメン)。徴税人や娼婦たちの方があなたたちより先に神の国に入るだろう』」(マタイによる福音書20:31)
 先週に続きイエスはたとえで語り始めます。33節「もう一つのたとえを聞きなさい」という語り出しは、このたとえが前のたとえとつながっていて、この後の22章1節で始まるたとえとも繋がっていることをも意味しています。これらのたとえはイエスがエルサレム入場直後に、神殿の境内で語られた三つのたとえです。第一のたとえは「二人の息子のたとえ」21:28〜32、第二のたとえはこの「ぶどう園と農夫のたとえ」、そして第三が「婚宴のたとえ」22:1〜14です。このたとえの前後に、祭司長、長老、ファリサイ派の人々との問答があって、その間にこの三つのたとえが据えられている形になっています。この問答とたとえを通して主イエスはユダヤ人指導者たちの責任を厳しく追及し、サンヘドリン(最高法院)との緊張を高めていくことになります。

 このたとえはイザヤ書5章1節〜6節を背景としていると推測されます。このイザヤ書では「ぶどう園」はイスラエルを象徴するものとして歌われていて、神の行き届いた配慮にもかかわらず、良いぶどうの実を結ぶべき期待を裏切って、結んだのは悪い野ぶどうの実だったということが嘆きをこめて指摘されています。(5:2)具体的には神が公平を望まれたのに、流血の惨事が続き、正義に背いて起こる惨事に、悲鳴の声が挙がるという事態が糾弾されているのです。

 民の上に立つ権力者をイザヤが糾弾したように、ここではサンヘドリンの代表者たちが、このたとえの聞き手として設定されています。ぶどう園を造って、防衛のため外に垣を巡らし、収穫した実を搾って果汁を取るため酒ぶねの穴を掘り、見張りやぐらを建て管理に資するというのは、ぶどう園の所有者としての神の配慮が、隅々にまで行き届いている様子を語っています。これを貸し与えられた農夫たちは、この神の恵みに応えて、民イスラエルに対する指導の責任を果たすべきでありました。しかもこれは委託された責任であり、農夫自らがぶどう園の所有者なのではありません。ところが収穫の分け前を取りに来た僕たちを、あるいは追い返し、あるいは殺したというのです。

 当時ガリラヤの近辺でも、王の所有地が、家臣などの手に渡って、農地とはつながりのない不在地主が、小作人を使って畑を耕させることがあったようです。地主と農民たちの間に、収穫物の分配や小作料をめぐってのトラブルがあり、イエスもそのような実例を見聞きしていたでありましょう。地主の過酷な取り立てに農民たちがあえぎ、苦しさから抵抗すると言う形で、多くのトラブルがあったのに対してイエスのたとえは、全く逆に、寛大で慈悲深い主人の信頼と愛にもかかわらず、また、過重な税負担を負ったと言うわけでもないのに、農夫たちが過度の欲望から、信頼を裏切り、恩を仇で返す形で、反抗と略奪を重ねるのです。

 イエスはこのたとえによって、イスラエルの歴史の中で繰り返されてきた民の罪、ことにイスラエルの支配者や指導者たちの犯してきた罪を指摘しようとしているのです。イスラエルの歴史は、神の愛と恵みによって守られ、導かれた歴史でありました。それにもかかわらず、その歴史は神に対する背信と反抗の歴史でありました。繰り返し神に対して反抗し、主権を自分の手中につかみ取ろうとした歴史でした。具体的には、旧約の歴史で、相次いで召しを受けた預言者の受難がここで想起されています。神の言葉を語る預言者の血がどれほど流されてきたことか。イエスの矛先は、その管理・指導を委ねられている人々に鋭く向けられています。

 派遣された僕たちを次々と捉え、袋だたきにし、殺害し、石で打ち殺したと言う風に反抗の度合いが回を重ねるに従って激しくなってゆきます。その頂点として、主人はついに自分の息子を派遣したと言う風に話しが続いて行きます。この物語の中心は最後に送り出された「愛する子」に置かれています。そして、この「愛する子」が、イエスの受洗のとき天から臨んだ「あなたこそわたしの愛する子」という呼びかけを反映していて、預言者たちに続いて最後に、神の子としてのイエスが、派遣されたのだという宣言になっているということです。

 これに対して農夫たちの反応は、「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」と常軌を逸した行動に出るのです。神に対するイスラエルの反抗は、その独り子なるイエスの殺害において頂点に達するのです。そして、「ぶどう園の外に放り出して殺してしまった」というのです。これは実際町の外にあるゴルゴダの丘にイエスを引き出し、そこで十字架につけたという事実に符合させたということでしょう。サンヘドリンの要人たちの姿をありありと描き出すこの「たとえ」の中に初代教会の信仰者たちの信仰告白(使徒信条)の証言が織り込まれています。農夫たちが主人の息子を殺害した意図は、「これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう」というのですが、息子を殺しても、所有権は依然として主人のものであることは変わりません。このような思い違いをするのがすなわち人間の愚かさ、浅はかさであることをもこのたとえは語っているように思われます。

 40節「さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか」この農夫反乱に対して、主人がいかなる処置を取るか、というイエスの問いに対する相手自らの答えです。その答えの意味は、神の民としてのイスラエルに与えられた霊的相続権が今やその手から奪い取られ、他の民に与えられるという趣旨であることを承知で返答しています。つまりサンヘドリンの要人たちは自ら、神の不動であるはずの真実が変わると言うことを認めたことになります。これは空前絶後の大事件です。

 それで、イエスはこの答えに対して決定的なことを言われます。それが42節以下のたとえです。これは詩編118篇22〜23節を引用したものですが、共観福音書マタイ、マルコ、ルカともに完全に一致しているだけではなく、使徒言行録4章11節、ペテロ第一の手紙2章7節にもこの詩が引用されています。この詩はキリスト預言として、初代教会の信仰者の間に定着していたものです。建築家たちが、これは役に立たないと見て棄てた石が、実は建物を支える最も大切な基礎・土台の石となった。この石の上に、新しい神の民であるエクレシアが建設されるであろうというのです。マタイはすでに、この新しい現実を目撃しています。その初代教会の事実に立って、この言葉はイエスの預言の成就であることを証言しているのです。

 43節「だから、言っておくが(アーメン)、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」このイエスの言葉は、既に開始されている異邦伝道は神ご自信の意思に基づく摂理であるとする初代教会の信仰者たちの確信を支えました。そして、キリストの福音が、ユダヤ教の反抗・迫害にもかかわらず異邦世界に波及していく歴史的図式は、ここだけではなく、ローマ書にも言及されていますが、しかし、この背後に、重大な一つのミステリーが隠されているのです。

 神はイスラエルの背きに対してはこれまでに大きな忍耐を重ねて来られました。そうであったのに、ここでは、この選びの恵みがこの民から取り上げられるというのです。と言うことは、神はこの時から、その御心をお変えになったということなのだろうか。パウロはこの問題を回避できない問題として、ローマ書9章から11章に展開しているのですが、共観福音書はこの問いに対しては、独自の回答を提示しているということです。つまり、神の独り子なるイエスを棄て、これを殺すことによって、この民は自己の存在の根底を自ら断ち切ったというのがその回答であります。神がその御子を派遣されたということは、未だかつてなくこれからもあり得ないような大事件で、神の計り知れない恵みの発露なのですが、この恵みが大きければ大きいほど、これを拒否し、なお且つ殺すということは、実に決定的な叛逆でありました。神ご自身がその御心を変えたのではありません。そうではなく、民の叛逆が今や決定的段階に達したのです。今やイエスは救いと滅びを分ける分岐点に決定的に立っておられるのです。

 44節 これはイザヤ書8章14〜15節からの引用で、不動なる神の民を救おうとする救済の意思を宣言する趣旨の預言であるのですが、しかし、このヤハウエは、ただ救いのためにのみ存在するのではなく、裁き主でもありたもう、という宣言が同時になされているのです。イエスは神の救いの御業の体現者であり、依り頼むべき救いの岩であると同時に、恐るべき裁きの岩でもありたもうというのです。

 わたしたちはこの宣言の中になお、深く潜んでいる含蓄を、より深く読んで行くことが重要です。その後のイスラエルの歴史についてです。福音は異邦の世界へと広がって行くこととなったのですが、イスラエルの民は政治的には、紀元六六年から始まったユダヤ戦争が七〇年の惨澹(さんたん)たるエルサレム陥落に終わり、悲惨な挫折を経験することにより、このたとえで示された警告は恐るべき事実となって具現したのです。マタイはその歴史的事実を既に知った上で、なお、このことを語っているのですが、そのことに意味があるということです。その意味とは、この滅亡に露呈している罪とは一体何であるかと言うことを、明確に確認するときに判明します。具体的には、サンヘドリンの要人たちが、イエスに反抗した要因は何であったかということが問題なのです。

 それは、彼らは律法や神殿を盾に取って、神の権威を自らの手中につかみ取っていたというこの一点です。このようにして彼らは公然と、あるいは巧妙に、神ならぬものを神とする偶像崇拝をしていた。その実態がイエスとの対立によって暴露されたということです。この偶像崇拝を粉砕するためには、実に御子の死を必要としただけではなく、彼ら自身も戦禍に身をさらされることにもなったのだとマタイは捉えていた。それが福音書に共通す歴史観であるとわたしは思います。

 この歴史的な事実は、その後の二千年に及ぶ地上に生起する巨大な歴史のうねりに対しても、ひとつの新しい視点を提示しているように思います。人間の支配を神聖不可侵なる聖域にまつり上げ、その上に立てられた疑似宗教国家体制、あるいはイデオロギーによる全体主義国家が崩壊するまでには、どれほどの惨禍をもたらしたかをわたしたちは知っています。そしてそれはイエスの時代から二千年経過した今も進行中です。このぶどう園のたとえにおいて、神の御子の死がどれほど重い出来事であったかを、わたしたちは教会の歴史に於いても無数の犠牲者に対応するものとして、たとえば日本に於いては、江戸時代の封建制度におけるキリシタン禁止令や、第二次世界大戦下の国家神道における天皇を神とした軍国主義などなど、捉え直し確認することができるでありましょう。世界の歴史は今もなお、「真の神とは誰か」という問いを巡って展開しているという厳粛な事実をふまえて、わたしたちは自分の人生の土台とすべきは何なのかを真剣に考えていかなければならないのです。

 わたしたちはそれぞれ自分たちの人生を営んでおりますが、わたしたちの人生の土台は、一体何の上に置かれているのでしょうか。本日皆さんとお読みしました福音書の日課では、神の子イエスは、人々の反感をまともに受けて、エルサレムの都の外に棄てられて十字架に掛けられて殺されましたが、その人々が棄てたイエスが、その後の人類の歴史の土台をなす存在になったことを宣言しています。わたしたちの人生のどん底で支えてくださる土台石、隅の親石が十字架の主イエス・キリストなのです。わたしたち一人一人の人生の厳しい罪の悲哀の極限に立って、わたしたちの罪の結果を受け止め、引き受けてくださっている親石なのです。そして自ら引き受けたその罪のどん底で死なれたイエスは、復活されて、わたしたちに、永遠の命への道を開いてくださったのです。それゆえ、主は今、わたしたちをその大きな救いの恵みに、御言葉をもって招いてくださっておられます。

 お祈りいたします。

 慈しみと憐れみに富みたもう全能の父なる神さま。あなたがその最愛なる御子をお遣わしなったにもかかわらず、わたしたちはその御子を十字架に掛けて殺すほど罪深い者です。その罪深いわたしたちを赦してくださり、なおかつ、御子イエスをわたしたちの人生の隅の親石、わたしたちをどん底で支える人生の土台としてくださいましたことを、本日御言葉を通して示され、ただただあなたの大いなる恵みに心打ち砕かれて感謝するのみです。わたしたちが日ごとに自分の罪深さを知り、あなたの恵みの深さを感謝することができますように、わたしたちが隅の親石キリストの故に、喜びをもって御名を賛美する日々の歩みを送ることが出来ますように導いてください。

 わたしたちの隅の親石である主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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「立ち帰るのを待っておられる主」マタイ 21:23-32
2023.10.1 大宮 陸孝 牧師
 「イエスは言われた『はっきり言っておく(アーメン)。徴税人や娼婦たちの方があなたたちより先に神の国に入るだろう』」(マタイによる福音書20:31)
 本日の日課の23節で、「イエスが神殿の境内で教えておられた所に、祭司長たちや長老たちがやってきてイエスに尋ねた」とあります。マルコとルカ福音書はこれに律法学者たちをも加えています。イスラエルの最高法院(サンヘドリン)はこの三種類の人々で構成されていたので、この質問によってサンヘドリンによる審問が開始されたことを意味していると見てよいでしょう。取り調べの舞台となったのは、12節以下の神殿粛正の出来事に対するものであることは明白です。「このようなこと」というのは、直接的にはあの神殿粛正の業を指しているとみることができますが、今までなされてきた安息日律法違反や浄・不浄の規定の廃棄など、イエスの挑戦的行為を総括する趣旨と見られます。それらのイエスの業が、あの神殿粛正で頂点に達したのです。サンヘドリンを通して、イスラエルの宗教的・社会的秩序を守って来た責任者たちは、自分たちの依って立つ権威が根底から揺さ振られていることを、もはや黙視できなくなって、イエスにこういうことをさせている基盤は何か、いかなる権威が彼を支えているのか、と尋ねたのです。これは単なる一つの質問ではなく、法的訊問がここで開始されたことになるのですが、イエスはまだ逮捕されたわけではないので、一つの神学的討論という色彩を帯びたものになったということでしょう。

 質問者たちは、われらこそ神の権威に立脚し、その伝統を護持する者という自信のもとに質問に及んでいるのですが、彼らは本当に神の権威に支えられ、その真理に立脚していたのかということを、逆にイエスに問い返されることになります。そのイエスの設問は鋭く、核心を突くものでありました。追求されるべき問題点は、サンヘドリンが神の権威に正しく立脚しているか否かという点にあります。これを明るみに出すために、洗礼者ヨハネに対してサンヘドリンはどう対応したかと言う事実に言及して、彼らの真の姿を浮き彫りにしていくのです。訊問を受けていたイエスが、今や逆に訊問するという逆転がここで起こっているのです。この問いに対して、彼らは自己の良心に基づく信仰告白としてではなく、利害を打算した上で無難な道を選択するという、政治的な駆け引きによって応答して行くのです。

 25節b「彼らは論じ合った」彼らが互いに相談したというのは、内なる確信をそのまま表明するのではなく、どう答えるのが適当かということを、比較考慮したということです。つまり、彼らは、利害を打算したのであって、そのこと自体、彼らが「神の人」たるにふさわしからぬ存在であることを、如実に暴露しています。ここで明らかになったのは、組織によって立つ制度的権威と、神からの直接臨んだ派遣に基づく霊的権威とが厳しく対立したということです。

 サンヘドリンの従来の方針に従うとするならば、ヨハネのバプテスマは天からのものではなく、人間から出たものであるとしていたのですが、もしそのように答えたとするならば、彼らは群衆の攻撃を恐れなければなりません。イスラエルの民はみな、ヨハネを預言者だと信じていたからです。皮肉なのは、サンヘドリンが内心軽蔑していた民衆の方が、霊的直感によりすぐれていたということです。こうして彼らは答えに窮して「分からない」と答えるほかなかったのです。政治的利害の打算という視点から見れば、これは確かに無難な答えではありましょう。しかしこのように答えさせることによって、イエスは彼らの内的実態を決定的に暴露したのでありました。彼らは律法を手にし、神殿を本拠としているとは言え、その内実は空洞化していて、もはや神の権威に立脚するものではなく、彼らの誇示する宗教性は、内側の欺瞞を覆うための隠れ蓑でしか無かったということになるのです。そうだとすれば、もはやイエスを訊問する資格すら彼らにはないということになります。イエスはこの事実を彼らに突きつけて、イエス自身が彼らにまともに応答することを拒否したということなのです。イエスはここで、今や真実の審判者として彼らに断定を下したのです。

 ここでは、人間の罪の原型とも言うべき事態が明らかになっています。彼らは神殿という宗教施設を本拠とすることによって、神的権威の保持者として民に君臨し、自らが神の位置に立つ者となっていたということです。罪とは人間としての分を超えて、神のような存在として、自己を主張することに他ならないのです。イエスの前に立ちはだかってイエスを訊問した宗教人たちは、そのことによって罪の原型を自ら体現していたのです。そしてこのことを境として、生命への道と死への道が分かれることにもなるのです。イエスもまた、「つまずきの石、妨げの岩として」、また「イスラエルの多くの人を倒れさせたり、立ち上がらせたりするため、反対を受ける徴として」受難の道を歩んで行かれる。それが神の生命への道であることを示すためにも、バプテスマのヨハネは先駆者として無くてはならない存在として立てられていたのでした。

 28節以下 そこで、イエスは更に問いかけられます。「ところで、あなたたちはどう思うか」話題を変えるような表現で改めて問いを発するイエスの問いは、自らの内に思い巡らすことによって、自発的な自覚を深めさせようとする配慮に満ちた問いでありました。この問い自体は単純明瞭で、何の疑問の余地も残さない、最終的に父の意思を実行するか否かが問題であるということを、確認させようとする問いでありました。主イエスはここで、神の意志に従うという正しい結論を相手から引き出したうえで、更にこれを具体的に適用するとどうなるかということを、相手に真正面から向き合わせているのです。

 31節b「イエスは言われた『はっきり言っておく(アーメン)。徴税人や娼婦たちの方があなたたちより先に神の国に入るだろう』」。取税人は律法を守らないばかりか、同胞を裏切り貪欲をほしいままにする人々でありました。それで、ユダヤ社会から完全に締め出されていましたし、遊女と言えば、その全存在が汚れているとされていましたから、厳しく排除すべき者たちと見做されていました。このことは聖なる神の要求として、その正当性を誰もが疑うこともありませんでした。そういうことでしたから、イエスのこの「取税人と遊女たち」が、敬虔な祭司たちや長老たちよりも先に「神の国」に入るという断定は、当時の信仰の根本を覆す爆弾発言でありました。しかも、仔細に検討してみると、先行する28節から30節とは、厳密には一致していません。取税人や遊女たちが自ら自発的に、神の御心を行うということではないからです。この言葉は神のパラダイム転換というべきもの、従来の律法的枠組みを超えた、イエスの驚くべき救済意思の発現を宣言したものであると見ることが出来ます。神の罪を許す権威の宣言であったのです。

 この宣言によって、この兄と弟のたとえ話の含蓄が、明らかとなるのです。「お父さん承知しました」と言った弟は、律法を忠実に守り、神の民としての分を守るべく心がけている敬虔な人を指していると見ることができるのですが、しかし、現実には父なる神の意志を実行していません。これに対して「いやです」と素っ気ない返事をした兄は、律法違反を公然と表明する人間を表しており、取税人と遊女がこれに当たると見ることが出来ます。しかし、その彼らこそ祭司や長老たちより先に天国に入るとすれば、どのように神の御心を行ったのかを示さなければなりません。それが次の節で語られていることです。

 32節「なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった」ここで、取税人や遊女たちが、いかに神の御心を行ったかという内容が提示されます。事実に即して申しますならば、ローマ書で明らかにされていますように、彼らは、十字架による贖罪というイエスの恵みに与り、それに信頼し依り頼むことによって天国に入ることができるというのが、究極の真理でありましょうが、その前触れとして、彼らは洗礼者ヨハネを信じ受けたのだ、と言われているのです。

 これは、バプテスマのヨハネの存在は神の新しい救済の業を受け取れるか否かの分岐点なのだとイエスは言っているのです。今までのイスラエルの宗教的指導者たちは、律法を守ること、神殿での宗教的儀式を守ることを権威として、それにこだわってきました。そして、ヨハネの宣教を拒否しましたが、下層の民はそこから方向転換して、ヨハネを神よりの人として信じ受けて、神に真実に向き合う行為として悔い改めのバプテスマを受けるためにヨハネのもとに赴いたのです。「取税人と遊女」の名は、それを代表するものとしてここで言及されているのです。

 ここで注意しなければならないのは、ヨハネに対する信仰が天国への門を開いた。そのヨハネを信じ受けることによって、彼らは救いに与ったということを言おうとしているのではないということです。もしそうならば、救いの恵みはヨハネその人がもたらすということになるのですが、ここでのイエスの言葉の真意はそうではないのです。ヨハネはあくまで、イエスその人の先駆者として位置づけられているのであって、ここでの重点は、洗礼者ヨハネを拒否した人々が、同じくイエスを拒否しようとしているという点に置かれているのです。ヨハネが神の新たな救いと滅びを分かつ分岐点になるように、イエスもまさに「躓きの石」としてここに立っている。バプテスマのヨハネとイエスを通して、神は新しい救いの道を提示されている。これを信じ受ける者こそ、神の意志を行う者として神の国に迎えられるのだ。なのにあなたがたは心を入れ替えて(方向転換をして)、信じ受けようとはしないと、絶妙なる権威問題の締めくくりとなっているのです。つまり、神は、背いても心を入れ替えて帰って来る者を、拒むことなく迎え入れてくださるのだ。それが神の新しい愛の権威だとイエスは言われているのです。

 お祈りいたします。

 イエス・キリストの父なる神様。あなたはわたしたちにあなたの最愛の御子イエス・キリストをお与え下さり、わたしたちあなたに背く者が、考え直してあなたの御許に立ち帰ってやりなおす道が示されていますことを、今朝の御言葉を通してお示し下さって感謝いたします。どうか御言葉によってわたしたちの頑なな心を打ち砕き、あなたの御憐れみに全てをお委ねする信仰の従順さを与えて下さい。どうかこの世の多くの苦しみや困難の中にある一人一人に、神の国の慰めを与えて下さり希望を持って生きて行くことが出来るようにしてください。世界に平和と正義が打ち立てられ、あなたの栄光が表されますように。

 主イエスキリストの御名によってお祈りいたします。    アーメン


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